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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

まさかのダンテ(ポレンタ その1)

エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その6

数年前に行きたい場所の一つとしてピックアップしていた場所が、次の目的地です。

emilia 132

ポレンタPolentaのサン・ドナート教会Pieve di San Donato。

街道沿いに数軒家があるだけの村のようですが、そのはずれにある墓地の教会です。墓地があるから、人の行き来があるのは不思議ではないのですが、それにしても多いな、と思っていたら、帰り道で気付きました。教会のすぐはす向かいにレストランがあり、そこに来る人たちが、教会前に駐車していたのでした。

到着時、正午あたりだったのかな。
ここは、昼休みもなく通しで開いている、という情報は得ていましたが、過去の様々な経験から、実際にたどり着くまでは信用できないものです。
とりあえず墓地向けのスペースに急いで駐車して、教会に近付くと、やけに人々がいるので、もしかして結婚式またはお葬式?とドキッとしてしまったのですが、単に、グループ見学者が来ていたのでした。

ガイドがいて、ちょうどツアーが終了して、解散直前というタイミングで、私が入り込んだ、という感じです。そのため、入った時は、教会全体に煌々と明りが灯されていました。一瞬にして状況を理解したので、もうそれは慌てて、バタバタとクリプタに降りたり、内陣に入り込んだりして、明りを最大限活用しようと小走りで動き回る東洋人、笑。

鍵番さんでしょうか。もう明り落とすからね、とおっしゃりながら、おそらくグループの方に用意したであろう冊子を、私にもくださいました。教会内に置いてある様子はなかったので、ラッキーでした。しっかりお布施をしてきましたよ。

というわけで、その冊子の説明を使って、見ていきたいと思います。

教会は、サン・ドナートに捧げられているのですが、それが、歴史の一端を物語るものとなっております。
なぜかというと、このドナートさんは、トスカーナはアレッツォの守護聖人なんだそうです。トスカーナの守護聖人の方が、なぜにこのポレンタで?となりますよね。
いただいた冊子の説明によると、以下となります。
「7世紀の終わり、ロンゴバルドがラベンナのビザンチンに対抗して、パダナ平野を征服した頃が、この教会の起源とされている。トスカーナから発し、ロマーニャの平野を通りながら略奪を行い、ロンゴバルドはこの地域までやってきた。
丘上には、地域を管理し、ビザンチンからのいかなる攻撃も防御するため、軍の施設が置かれた。
ロンゴバルドの兵士は、城塞を建築し、洗礼機能を持つ教会を作り、サン・ドナートに捧げた。サン・ドナートはアレッツォの守護聖人だが、要は、彼らの出身地だったのだ。教会は、その大部分を、地域産の石でなされ、略奪で得た品で装飾された。」

ドナートと言って、真っ先に思い出したのは、ベネチアはムラノ島にある後陣が美しい教会です。あそこにもこういったトスカーナの人たちが関係していたりするのかもしれず、こういう歴史の蘊蓄話は面白いですね。

ちなみに、ポレンタという町名に、あれ?と思われるかもしれません。
ポレンタと言えば、イタリア北部の貧乏食ですから、なぜロマーニャに、と不思議です。
100%正しいとされる説はないようですが、「パン用の麦粉」という意味のポレンタというラテン語起源というのが最も有力な説らしいです。それは貧乏人の食べ物で、この地域の人々の食べ物であったと。貧しい地域だったのですかね。
一方で、いや、そうじゃなくて、Polentiusという言葉が起源で、それは権力を持つ人という意味である、という説もあるそうですから、混とんとしています。

いずれにしても、ロンゴバルド起源で教会やお城が建てられていますし、すでにそれよりもずいぶん前に定住があったとされており、古い土地であることは間違いがないようです。

蘊蓄としては、もう一つびっくりの話が、冊子にありました。
なんとなんと、ダンテの神曲です。

神曲は、イタリア人ならば、誰でも一度は勉強しなければならない古典文学です。私は、ペルージャ大学でイタリア語を勉強した時に、文学の授業ですごく学びました。以前にも何かの記事に書いたように思いますが、その文学の教授、情熱的に熱狂的に神曲を語る方で、内容は半分くらいしか分からなかったのですけど、ダンテ愛が炸裂する授業で、非常に印象的だったんですよね。
中でも、それ以来、忘れられないパオロとフランチェスカの物語。涙なくしては語れない的な、今考えても、ほとんど浪曲状態で、語っておられたなぁ、あの教授。
なんとね、そのフランチェスカさんは、このポレンタ公の娘として1260年ポレンタ城で生まれ育ったというんです。

だから何、ということではないのですが、なんていうんですかねぇ、遠い歴史上の一記述に過ぎない神曲が、いきなり身近に迫ってきたみたいな感じ?
そして、たまたまこの日のこの時に訪ねたからもらえた冊子で、それがなかったら、一生知らなかったかもしれないっていう僥倖にあったような感じ?
知らなくても何も変わらないけどもね、なんかさ、ポレンタ、というちょっとばかり間抜けな印象の村が、いきなり悲劇の舞台に様変わりみたいな…。

おっと、脱線長すぎ。
一旦切ります。

ちなみに、パオロとフランチェスカのお話は、日本語でもいくらでも出てくると思うので、ご興味あれば、ネットで検索してくださいね。

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  1. 2022/12/19(月) 16:01:51|
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  3. | コメント:0
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