エミリア・ロマーニャの週末(2022年11月)、その11(最終回)
ヒッチハイクされちゃったので、余韻を楽しむ間もなくブリジゲッラを出発となってしまった顛末を、前回書きました。
結果、思ったよりは早く帰路に着くことになったため、行けたら行こうかな、と思っていた教会に寄っていこうと決めました。
実はこの時の旅、予定にも余裕があったので、あちこちでエコ運転を実践していました。ハイブリッド車なので、うまく運転すると、ガソリン代、相当節約できるんですよ。
で、ボローニャに向かう道だったり、ポレンタに向かう道だったりを、高速ではない一般道で、一定スピードを心掛けて走ってみたところ、リッター27キロとか、かなりのエコ運転となりまして、ちょっと楽しくなってしまいました。実際、ガソリンが全然減らなくて、びっくりするくらいだったんです。
それでいい気になって、ブリジゲッラからボローニャを超えた北上の途中にある教会目指して、ここでもエコ運転を実践することにしました。
調子よかったんですけどね、途中でハッと…。
うっかりしてたんですが、ちょうど、夏時間と冬時間が切り替わる週末だったんですよ。途中であれ?と不審に思い、あ~、そうだったよ!と自分の間抜けさに気付いたけれど、後の祭り。高速に乗ろうと思っても、今更意味がないところまで来てしまっていたので、後は日暮れ前に到着することを祈るのみ、みたいな状態で、急ぐ旅ではなかったのに、強制的に急ぐ旅にしてしまったのでした…。

サン・チェザリオ・スル・パナロSan Cesario sul Panaroのサン・チェザリオ教会Basilica di San Cesario sul Panaroです(オープン8時/19時、教会脇に駐車可)。
写真だと、まだ結構明るく見えますが、すでにかなり暗闇が押し寄せ始めている状態での到着です。取るものもとりあえず、扉口に突進したのですが、突進した途端に、ライトを車に忘れたことに気付き、クルマに突進で引き返し、また扉口に突進。変な東洋人やってしまいました。
端正なたたずまいです。街中にあるのに、周囲は緑で整備されているのも、端正さをマシマシにしている感じかも。
後陣側は、工事の金網があったりしたので、道の整備だったかもしれないし、教会の外壁工事だったかもしれません。

ファサードは20世紀半ばの再建ということですが、スタイルは、往時の様子をとどめたものとなっていますよね。側壁及び後陣部分はオリジナルのままをうまく修復したものということです。
ちょっと歴史の蘊蓄を語ると、これは現地の説明版にあったものですが、以下とありました。
「この地域は、中世のVia Romea上にあり、ベネディクト派修道院ノナントラに従属していた。ノナントラは、9世紀初頭、一つの修道院と、殉教者サン・チェザリオに捧げられた教会を創設した。」
どっかで見た感じ、と思ったら、なるほど、ノナントラのスタイルに似ていますよね。特殊なスタイルではないけれど、でもノナントラ双子だわ。
「創設時、近くにあった公国が、9世紀後半に、カノッサ公の所有となり、その後、マチルダの所有となった。マチルダが、1112年、サン・チェザリオ教区に寄進した。」
マチルダさんは、本当にどこにでもかかわっていて、それはつまりカノッサの勢力がブイブイだったということなんですよね。カノッサって、結構山ですから場所が不便ということもあるのでしょうが、結局キリスト教にかかわらなかったら、当時如何に勢力を誇っていたとしても、これほど記録や記憶に残されることはなかったでしょうね。そう思うと、欧州の歴史は、やはりキリスト教徒二人三脚ということなんでしょうね。よくも悪くも、ですが。
個人的に感じたのは、地面が、今のレベルから結構下なんですけど、時間の流れに正確な段差って感じがしました。

さて、中に入りますが…。真っ暗です…、涙。手持ちの明かりがなかったら、どうしようもない状態でした。明りを持たずに歩いていた時代だったら、残念ながら、すごすご引き返すしかない状態でした。

現場の解説です。
「内部は壮大な三身廊、コリント様式の柱頭を持つ円柱。
最も古い場所である後陣は、5世紀、ローマの礼拝堂があり、そこに、ビザンチン及びロンゴバルドの時代に手が入り、それらが11世紀にロマネスク様式ですっきりと調和を取られる形になった、という仮説がある。一方で、中世初期にあった礼拝堂が壊され、12世紀にまったく新しい教会が建てられた、という説もある。
後陣部分と最初の柱間は1112年頃のもので、その他の身廊部分は1134年ごろ、教会が、ポリローネPolironeのベネディクト派修道院傘下に移管されたときとされている。この時代のものが、内部に保存されている。側壁の扉の近くだが、人の一部、ライオンの頭部、天使など。それらには、ブルゴーニュの影響がみられる。」

柱頭は、横並びで対になっていたようで、すべて植物モチーフですが、並びごとにタイプは異なっているようでした。

円柱のサイズに、圧倒されましたが、とにかく暗い!
壁に埋まっている角柱には、こういった古い時代のものらしいモチーフも彫られていました。

こういうことから、最初の仮説の方がありそうだなと思います。

内部では、レンガ多用されていました。やはりノナントラ・テイストですね。ちなみに、柱などは、再利用らしいです。それらが石のまま、ということになるのかな。

再利用を証明するかのように、お足元は、様々な形の下駄ばき工作がなされておりました。
あまりの暗闇で、壁に貼られていたであろう装飾彫り物の名残などを確認するなどは、もちろん不可能でした。
それでもね、開いてなかったら、やっぱり悲しいし、入れてよかったと思います。
見学を終えて出たら、すでにほぼ真っ暗で、さすがにエコドライブは不可。幸いだったのは、この町から高速がすぐだったことでしょうか。
ということで、週末エミリア・ロマーニャ、終了となります。
この際なので、去年の同地への週末ドライブ修行も、続けてあげていこうかと思っております。この土地、地味なものが多いとはいえ、山間に隠れるようにして色々あるんですよね。
では、お楽しみに。
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- 2022/12/30(金) 17:48:17|
- エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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