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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

棺じゃなかった…(ノナントラ 5)

一年前のエミリア周遊(2021年10月)、その10

ノナントラNonantolaのサン・シルベストロ修道院教会Cattedrale di San Silvestro、続きです。
通常、大抵は時間がないから、と博物館や美術館は端折ることが多いのですが、今回は後陣に再会したかったし、過去の記憶を確かめる気持ちもあり、併設博物館を訪ねました。入り口は、教会からは結構離れた場所になります。

以前は本堂から中庭に出て、そこからアクセスできる建物だったはずですが、今は各物館経由でしか、中庭にはアクセスできないことになっていると思われます。

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見せている内容も大いに変わっていました。もともと修道院の建物を使っているのですが、以前は、その食堂だった場所を公開していたんです。壁に、修道院が最も繁栄していたとされる時代、11/12世紀のフレスコ画が残されており、それを見ることが出来たのです。

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上がそうなんですが、今回はそれが見られなくなっていました。当時のことをさほど覚えていたわけではなく、帰宅して写真を確認して気付いた次第で、なぜ今は見ることが出来ないのか、不明です。

過去の記載によれば「教会の南側に、かつての回廊のスペースを開けて並行して建っているのが、 修道院の食堂だった建物。今では市の所有物となっており、教会からはまったく別の入り口からアクセスする必要がありますが、必見。というのは、当時のフレスコ画が、わずかながらのこっているからなのです。当時大変高価だったラピスラズリの青が、各所に美しく見られることから、修道院がもっとも繁栄していた時代のものとされます(11/12世紀)。南壁にもっともよく残っていて、 使徒パオロのダマスカスからの脱出が描かれています」ということです。

現在の博物館は、まず文書アーカイブの説明から始まりました。修道院ですから、もちろん写本の歴史があるということですね。
デジタル化された写本と、そしていくつかオリジナルのものがありました。

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これなどすごいお宝。
11世紀最後の四半世紀、つまり1075年から1100年に書かれて、製本は12世紀早々になされたものとありました。カノッサのマチルダが使ったものとかあったけど、それは眉唾ですよね。
それにしても、こういう写本系は、わくわくしてしまいます。ベアトゥスとか、一部突出して有名な写真がありますけれど、特に有名でなくとも、なんか、派手な色使いとかね、ロマネスクの真髄的な絵の様子が楽しいし、ミニアチュール的な装飾も見てて飽きないです。
そういえば、かつてダブリンに三週間も滞在しながら、お宝見学もしないで戻りましたけど、有名なケルズの書、いつか目にしてみたいものですわ。テンプルバーばかり通って、本当にアホな女…。

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壁にはめ込まれていたお皿のオリジナルも展示されていました。
ビザンチン起源の陶器とあります。ピサだと、北アフリカから来たものが多かったと思うのですが、こちらは、アドリア海を渡ってきたというものになるのでしょうかね。

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袈裟、と呼んでもいいんですかね、聖職者の衣の装飾です。
ビザンチンの、9世紀から10世紀のものというから、すごいじゃないですか。
説明には、「横糸に、黄色、二種の緑、ピンク、二種の青、白、赤、縦糸は赤の絹糸を使って織られたもの。右を向いたワシは、オリエントを向き、ビザンチンの力を誇示するモチーフ」とありますが、それ以外にも図像学的なモチーフが織り込まれている、大変貴重なものとなっているようです。
なんといっても、それほど古い布物、というだけでもすごいし、保存状態もかなり良いです。
アナーニでしたか、あそこも博物館に確か多くの布物が保存されていて、アイテムとしてさほど興味があるわけじゃないのに、あまりにすごいモチーフだったり、それが織物である事実に圧倒されて食いついてしまったことがありました。
おそらく、当時手で行っていた織物技術って、コンピューター制御でできる現代でも、なかなか真似できないレベルだったりもするんでしょうねぇ。なんせコスト感覚違いますもんねぇ。

以前は見ることが出来なかったものが、こちら。

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サン・シルベストロの聖櫃Arca di San Silvestroです。

現地の説明は以下。
「長年にわたる歴史研究家たちの論争の結果、今では確実とされている伝説では、法王サン・シルベストロの遺体の骨の一部は、756年から、ノナントラ修道院で保管されてきた。756年に、ローマから、アンセルモ修道院長によって、運ばれたことによる。修道院の文書によれば、10世紀から11世紀にかけて、そのレリックは、聖なるツボの中に収められており、長年修道院に置かれていたが、近年博物館に移された。
1372年、ツボから右の前腕が取り出され、そのために作られた聖遺物入れに収められ、それ以降、修道院の宝物として取り扱われるようになった。
1475年、人々に公開された際、大理石で作られた入れ物、つまり、ここで展示されている聖櫃に収められた。」

元々は、教会の内陣部分に、サン・シルベストロのレリックを祭っていたのを、近年、博物館に移したということのようです。以前訪ねたときは、もしかしたら、まだ教会に会ったのかしら?または博物館が工事中だった記憶もあるので、まだ置き場所が確定できない状態だったかもしれません。

実は見学した時は、大抵そうなんですけど、あまりじっくり説明を読まないもんで、笑、形が棺なのに、なんでこんなに小さいのか疑問だったんですが、今、謎がとけました。聖遺物入れ、聖櫃だったなら納得です。だって、かなり小さくて、言い方悪いですけれど、子供の棺サイズなんです。

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聖櫃の上には、ここには、ノナントラの守護聖人であるサン・シルベストロの聖遺物が収められている、と記されていますが、彫られたのは割と新し目な様子でした。

普通のサイズの聖遺物入れなど、工芸品も展示されています。

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ベネト地方の工房作と言われている12世紀から13世紀にかけての聖遺物入れ。高さが8センチとあります。Senesioさん、Teopompoさんという、私などには全く知らない聖人のための聖遺物入れだそうですよTeopompoさんって、名前がかわいすぎますが、感じとしてギリシャ、つまりビザンチン系ですかね。

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さらに古くて、10世紀から11世紀にかけて作られたもので、起原は不明ながら、コンスタンティノープルあたりと考えられているそうです。
腕の先っぽの方には、七宝で聖人の顔がはめ込まれていて、それぞれの聖人のレリック入れなんでしょうか。とにかく手が細かいですね。まさにコスト無視の仕事です。まぁ、貴金属は表面を覆っているにすぎず、本体は木製らしいですけれど。

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左も右も、キリスト磔刑の十字架という、聖遺物でも最重要なやつを納めるために作られた、特殊用途の聖遺物入れStaurotecaというものらしいです。やはり、何でも調べるもんですよね、初めて知った言葉です。11世紀とか12世紀のもの。
やはり、装飾もすごいです。

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すっごくビザンチンですよ。
女性など、オリエント、インド辺りまでも通じるような様子ありますよねぇ。

いつも余裕がなくて、博物館系は端折ってしまうことも多いのですが、ここでは時間があったし、入場料も5ユーロと安かったし、結構楽しく見学しました。そして、たまにこういった宝物を見るのも、とても勉強になります。
以上、ノナントラ、終了。ここは、結構通り道的な場所にあるので、今後もふと立ち寄る機会はあるかもしれませんが、積極的にはいかないだろうなあ。


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