ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その1
次はどこをまとめようかと、過去写真を見ていて驚愕。実は、かなり古くなっているし、次は絶対やらないと、と思っていた2019年夏のフランス修行の写真、整理が全然できてなかった…。
多分3000枚くらいの写真が、フォルダ分けもされずに、ただ並んでいて、驚愕でした。いい加減にしろよ、自分!
というわけで、いくつかの小さな修行旅を片付けていく選択肢もあるのですが、こういうとんでもない事態を避けるためにも、ある程度古いものから片付けていくことは必要と思うので、3年ちょい温めていた、笑、ビザンチン修行編、やっていこうと思います。画面左スレッドに、ビザンチンというカテゴリーを設けていますので、プロローグはそちらで見られます。
プロローグに記し、またタイトルにもしていますが、弾丸修行でした。夜、現地到着し、翌日早朝から夜までの12時間ほど、歩きに歩きました。
たったの二泊二日という行程で、何を見ることが出来るのか不明でしたが、結果としては、どこまででも歩く体力があれば、丸一日で、主要な教会を回ることは可能ということが分かりました。とはいっても、もちろん、ほぼ休みなしで町を二周した状態ですから、おそらく誰にでもできる荒業ではなさそうです、笑。
本来なら、歴史的時系列に沿って紹介した方が分かりやすいと思うのですが、それは整理上、さらなる手間暇を必要としますので、いつものように、見学した順番にあげていくこととします。
というわけで、早朝8時には宿を出て、一発目に訪れたのは、こちらです。

パナギア・ハルケオン聖堂Church of Panagia Chalkeon (7時半-21時半)
オープン時間、7時半ってすごくないですか。本当に開いているのか、半信半疑で訪ねたのですが、本当に開いていました!ただし、8時過ぎに着いたものの、ミサの真っ最中だったので、入場は見合わせ、他を回った後に、10時過ぎに戻って、入場しました。
ここテッサロニキでは、信者さんが熱心なようで、教会の開いている時間は長いものの、早朝のミサ、夕方のミサ、などにより、苦戦必至のところもあります。万聖節の週末だったことも、関係しているのかもしれません。あれ?ギリシャ正教にも万聖節って関係あるのかな?

こういった張り紙があったりしても、ギリシャ語オンリーということも多く、ここでは完全文盲となります。デジタル世代なら、ギリシャ文字をスマホで読み取って翻訳、などという技もできるんかもしれませんが、私には無理…。色々大変でしたが、でも一方で、常々暮らしている欧州圏内ではありえないことなので、楽しかったです。
ちなみに、町の人々はほぼ英語が通じましたし、人によってはイタリア語もいけましたので、基本、大きな不自由はありません。
さて、この聖堂、なんといってもいかにもビザンチンって感じのレンガ積みがよろしいし、サイズ感もとってもチャーミング。

緑の公園みたいな中にあって、結構木があるもので、全体を撮影するのが難しかったのですが、緑とレンガの相性もばっちりですね。上は、本にあった全体像で、解像度悪いけれど、かわいいという印象、分かってもらえるかと思います。
現地で、図版豊富な本を二冊入手してきましたので、今回はその本の解説をもとに、見ていきたいと思います。
歴史時系列で言うと、テッサロニキにある教会は、4から6世紀の初期キリスト教時代、暗黒時代と呼ばれる7及び8世紀、ビザンチン中期の9から12世紀、そしてビザンチン後期の13から14世紀、ビザンチン以降の15世紀から19世紀というそれぞれの時代に建てられたものが混在しています。加えて、トルコ人のオスマン帝国時代の遺構があったり、当時、モスクに転用されていた痕跡が、多くの教会で残されたりもしているというところです。
実際、このパナギア・ハルケオン聖堂も、1430年、トルコ人がテッサロニキを占領した後、モスクとなっていたそうです。当時のトルコ語の名称は、Kazantzilar Djamiで、それが単純にギリシャ語に訳されたのが、現在の名称であるパナギア・ハルケオンで、それは銅細工師のモスクという意味だそうですよ。当時からそういった職業の人々が集まる地域だったことに由来するそうですが、今でもその伝統は保たれているということです。銅に限らず、金属細工ですかね。
あまりに修行に邁進していたので、周辺のお店を見る余裕は正直、ほぼゼロという状態だったのですが、もしかすると、工房とかジュエリーショップなどが軒を連ねていたのかな。
話を少々戻すと、この聖堂の創建は、ビザンチン中期となります。テッサロニキには、実にびっくりするくらい数多くの教会があるのですが、そのほとんどは初期キリスト教時代と後期ビザンチン時代のものとなり、中期のものはこの聖堂くらいみたいです。
時代は違えど、多くの教会は、レンガ作りとなっており、外壁がすべてレンガなのは、ほぼ共通しています。イタリア南部にあるビザンチン教会も、確かレンガ造りでしたね。
なぜか?
というのは、非常に興味があるポイントですが、実はまだ読み切れていないです。単純に考えれば、良い石が産出しないとか、量が少ないとか、またはレンガが好まれたとか、工事が早くできるとか、その辺が理由として思いつきますが…。
解説本を読み進めるうちに、おいおい分かってくるかもしれないので、楽しみです。
それにしても、そのレンガ積みの技術、レンガによる装飾はすさまじく、感心します。

軒送りなど、普段ワクワクの好物アイテムはないのですが、この、トップを飾るのこぎり歯というか、ライオン歯というか、レンガの端をうまく使った帯、かなり好物だし、これでもか状態のダメだし重ねとでも言いましょうか、なかなかの迫力ですよ。

レンガ積みと言っても、モルタル?ツートンカラーですよね。
とにかくひたすら律儀に積んで、開口部周りのアーチ部分のバランスもすごく緻密で、自分には絶対できない仕事であるからこその羨望というか驚嘆というか…。今はあんなですけどね、ギリシャ人。すごい職人がいたんだなぁ、とか、笑。
ローマでもよく思ったことですが、中世を勉強して、ローマ帝国は一度完全に終わって、今のイタリアに直接通じてないことが分かって、なんか納得した感ありますが、ギリシャはどうなんでしょう。ビザンチンやオスマンなどの東方文化は、逆に技術や知識が上を言ってたんじゃないか疑惑もあり、ギリシャ文化が切断されてもよりよくなりそうな印象ですが、オスマンが終わって元に戻る過程で、もしかして違うものになっていったとか?

ちなみに、後陣、内部では半円の三つ後陣スタイルですが、外側は、中央後陣が円筒ではなく、三面の角ばったスタイルになっています。

上が平面図で、後陣部分、分かるでしょうか。
そして、こじんまりとしている様子、分かるでしょうか。
このこじんまりさも、この時代ならでは、という感じがあるようで、この後の時代、つまりビザンチン後期になると、全体に大きくなっていく様子です。
ここは、四本の腕が同じ長さのギリシャ十字が基本で、その周囲への広がりがない分、こじんまり。
十字の真ん中部分がドームになっていて、四本の柱で持ち上げられているスタイルです。
入り口側、東向きの後陣の対面となる西側には、ナルテックス構造があります。
このナルテックスは、トップの写真で分かるように、二階部分があり、かつては、二つの小さなドームの天井の下にあった木製の階段でアクセスすることができたそうです。しかし、その上部構造のつながり方が、他の面の構造とは違う形となっており、建物の他の部分よりも跡付けて作られたものであると考えらているようです。
外観は地味目ですが、ビザンチンはやはり内部で勝負!
ですが、長くなったので、一旦切ります。
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- 2023/01/22(日) 17:05:44|
- ビザンチン
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