ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その1
パナギア・ハルケオン聖堂Church of Panagia Chalkeon (7時半-21時半)、続きです。入場します。

十字の真ん中部分、四角になっているところで、上のドームを見上げたもの。
まずは、ビザンチン教会ってどういうもんかほとんど分かってないから、見方も分からないというのが正直なところです。
そして、大変残念だったと思いますが、この頃はまだ手持ちのライトを使っていなかったこと。写真はISOというんですか、解像度を最大にしているので、明るい様子に見えますが、実際は薄暗くて、全体がぼんやりしていて、特にドームなどは、見えやしない状態です。
シャンデリアすごいし、あちこちに金ぴか極彩色系のイコンも飾ってあり、全体にきらびやかな様子で、何だろう、オリエントに通じるものがあるのかな、鮮やかな色使いとか、金ぴかとかね。
さて、自前の写真はそういうわけでよくないので、適宜本にあるものなども使って、見ていきます。
中央のドーム、四本の柱からそのままかと思いきや、一段置いて、一回り小さなサイズになるのですね。

「祝福するキリストが円形のフレームに降り、二人の天使が支えている。その中央部のイメージの周囲に、さらに大きな円があり、中心部は同じで、祈る聖母が置かれている(彼女の手は横にあげられている)。彼女の両脇に天使。そして使徒たち。
下の方、窓との間、預言者。
ペンデンティブには、六つの翼をもつセラフィムが描かれていたが、今ではほとんど認識できない。後陣は聖母の姿、手は祈りの形。左右には、天使。」
解説には、このようにありますが、厳しいですよね。デジカメの写真のサイズで見ると、うっすらと識別できる部分もありますが、肉眼では、上の写真状態ですからね。

こういったもののようですが、今はキリストのお顔や体の一部、そして周囲の人々のお顔や上半身の一部がうっすらと認識できる程度です。残念な保存状態ですね。
最大ズームで撮影した中に、キリストと、周囲の人の一部が、割とよく撮れておりましたが、さすがビザンチンですね。濃いソース顔のハンサム君(キリストの方は、特段濃いめではなく…)、笑。

実は行く前、テッサロニキ、ビザンチンだし、どこもかしこもモザイクだらけ、と思い込んでいたんです。モザイク好きなので、その点でも長年あこがれていたわけなんですけれど、なんと、モザイク観点からは、ラベンナに敵うものなし。もちろんあるんですけれど、数は少ないです。
モザイク発祥やろうが!?と突っ込みたくなりますが、やはりモザイクは金がかかるんですね。ということで、テッサロニキの壁面装飾はフレスコ画中心でした。
考えたら、ラベンナは、町の規模はテッサロニキと同等またはちょっと小さいのかな、それでいてすごい教会の数があり、ほとんどどの教会にもモザイク装飾が施されていたというのは、おそるべし財力、ということになるのですねぇ。改めて感心しました。

「聖所の高い壁には、左右に、最後の晩餐の図となっている。南壁に六人、北に六人の使徒。」

やはりビザンチンのキリストは濃いね。それにしても美しい手です。
足元にはセラフィムが沢山並んでいて、そこだけはまぁまぁわかるけど、他は間違えた図像を載せていたら、ごめんなさい。
全体はこんな絵らしい。

「教会の壁とアーチには、ペンテコステ、お誕生、マギ、紹介や十字架聖母の眠りなど、聖書の場面が描かれている。」
などともあるのですが、もう全然不明でした。うっすらと絵がありそうな場所は撮影したのですが、まったくダメ。
でも、本にはこんなすごい後陣らしきフレスコ画がのっていました。

ありえんだろう?
あったのか?はがしたのか?

ここが後陣部分と覆うけれど、痕跡ないし、ビザンチン系は聖所に入れないよね。
もともと聖母にささげられた教会だったらしいから、そういう絵あっても不思議じゃないけど、何かなぁ。
フレスコ画以外は、ちょっとだけ彫り物装飾があります。

「現在に残る彫刻的装飾は、四本の柱の柱頭だけ。柱頭は、下部では円形で、アーチを支える部分では四角になっている。柱頭の四面は緩やかにカーブしており、中央部にバラまたは十字が彫られている。」

イコノスタシスにもかわいい彫り物がありましたが、これは現代の再建なんでしょうかね。

で、初っ端からやらかしましたが、この教会でも最重要のアイテムの一つ、見忘れ、撮り忘れです、笑。
入り口の上部の枠に彫られている碑文のようなんですが、「この碑文によって、われわれは、教会が、世俗的な場所に建てられた(それ以前にキリスト教は無関係な場所)事実を知ることが出来るのである。また、創建者がChristophoros、この地域の高貴な立場の有力者であったことを。彼は、教会を聖母に捧げ、それは自らの罪と妻の罪のためであると。」
その碑文の内容は、
「この場所は、これまでは世俗の土地であったが、Christophorosそしてその妻マリア、二人の子供たちであるNikiphoros、Anna、そしてKatakaliによって、神の母に捧げられるのである。6537年9月」
でね、この6537年、という訳の分からないのが、今回の発見でした。Annus Mundiというビザンチンの年月カウント法があるのね。この6537年はキリスト教の暦では1028年に当たるということで、この教会の創建は1028年ということだそうです。
Annus Mundiというのは、この世が作られてからの年数を表すものなんだそうで、これまで聞いたこともなかったです。それによれば、キリストの誕生は、5508年から9年に当たるということで、ひよっこが、みたいな?
ちょっと検索したところ、天地創造歴(ビザンチン暦とも)と呼ばれるものだそうです。ビザンチン世界、知らないことばかりです。
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テーマ:建築 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2023/01/24(火) 18:49:27|
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