ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その4
アヒロピートス聖堂Church of Panagia Acheiropiitos(8-12/17-19)、続きです。
主に、現地で購入した二冊のガイド本英語版を参照していて、まずは各教会毎の解説をもって、写真の整理、というところなんですけれど、このアヒロピートスが初期キリスト教時代のバジリカである、というところで、え?と思って止まってしまい…。
ローマだったんですよね、それは分かるんですけど、そして土地的には、ローマの本拠地であるイタリア半島から遠いと言っても帝国の領土の中では比較的近いことになるのかとも思うんですけど、帝国内でのキリスト教の普及って、かなり一瞬的なことだったのかな?とか、ふと。
そのあたりの経緯というのは、割と分かってないと思うので、別途、教会の項とは別に調べてみたいと思います。
分かる人は若い時から分かって、それで歴史が好きです、とかなってるんだろうけど、私なんかはなんとなくの歴史好きというだけだったよなぁ、とつくづく情けなく思います。歴史っていうのは、ギリシャがあってローマがあって暗黒の中世でルネッサンスで、みたいな変遷的な印象っていうのか、本当はすべて同じ一つの時間軸の中でつながっているのに、それぞれが断ち切れているような、その中で自分が好きなとこだけ見ていたような。
美術史、という歴史の中の一つのテーマだけで見ると、すべてが複層的に絡み合ってつながっていて、過去とも未来ともつながっている中にその時のブツがあるっていうことが分かってきて。
人も文化もブチ切れるものではないのか、と気付くみたいな。アホですな。

改めて、内部を見ていきます。
身廊を区切る左右それぞれ12本の円柱はコリント様式の柱頭をいただき、二段のアーカンサス葉装飾が彫りこまれています。

透かし彫りは、テオドシウス風とか言うようです。
これって、確かにイメージはまんまラベンナ、つまりビザンチンです。
逆台形の形の副柱頭も、やはり植物文様で、渦巻き文様付きで、おおよそどれも同じモチーフが並んでいます。繊細です。

柱頭に関しては、これはこれですごいと思うのですが、好物はシンプル系植物だったり、フィギュアだったりするので、ま、すごいわ、どまりなんですけど、実はこの柱頭の上のアーチ下に、素敵なモザイクがぎっしり。これは想像外の多さで、びっくりしました。

身廊の仕切りアーチ、すでに紹介の通り、二段になっていますけれど、その上も下も、モザイクで装飾されているんです。全部が残っているわけではないのですが、ここまでやってるということは、他部分にももっともっとあったのかもしれません。この時代の財力、強烈です。

主に植物モチーフが、黄金の背景に表されているんですけれど、とにかく美しいし、デザインもよいのですよ。ビザンチンのモザイクは、そうそう、こういう煌びやかで、独創的なデザイン性があって、色彩も面白い、こういうのじゃなきゃっていう。

ラベンナを初めて訪ねたとき、聖書の場面だったり、後陣全体を使ったメインのテーマ的な場面のすごさに圧倒されつつ、その周辺の装飾的帯の美しさ面白さに、同じように感動したんですよね。モザイクのよさって、そういうところにもすごくあるから。
なので、こういった、まさに装飾のためのモザイクは大好物で、楽しくてたまりませんでした。

植物に詳しい人なら、描かれた植物の名前が分かるかもしれないですね。私にわかるのはハスくらいかな。
あ、下のはユリっぽいですね。

モザイクだから、ざっくりしてるかと思えば、かなり繊細なんですよね。そして、やはりどこかオリエントのテイストも感じます。
これまでのが、下段のアーチと思いますが、上段のはちょっと意匠の様子が変わっています。

植物モチーフに並行して、宝石が置かれた赤い帯付。これもよく見るモチーフですが、フレスコ画よりも圧倒的に豪華さが匂ってきます。
こちらのデザインも、同じように素敵。今にも通用しますよね。

黄金を使っているということは、石とともにガラスもすでに使われていたんですね、今更何って感じですが、笑。これまでに勉強したことも忘れまくるし、まるで今気付いたみたいに色々言ったりしてますが、ま、そんなもんですよね。
ちなみに、モザイクは、450年代と考えられているそうです。
その根拠は、私が撮影した中にはなかったのが残念ですが、南側アーチのモザイクに”Andreas”という名前が見られるそうなんです。このアンドレアスはこの教会のスポンサーであり、「テッサロニキの大司教を代表してChalkidon宗教会議に出席し、そして451年10月13日宗教会議の議事録に署名したアンドレアス神父である」ということです。
そのことから、モザイクは彼と同時代のものと特定されているみたいですね。あ、教会そのものも、447/8年頃創建とされています。そちらは、礎石に年号が入っていたらしいですが、ここでは西暦だったのかな。
さらに、「この特定はまた、この教会における柱頭と、コンスタンティノープルのStoudiou修道院のそれとの比較でも確認できる。なぜなら明らかに似ているからだ。とても重要なのは、アヒロピートスの彫刻が、特定の教会のために作られた彫刻の、完全なコレクションとなっているまれな例であることに注目すべきことだ。なぜなら、当時は、以前の建築から、お金と時間の節約のため、一部や全体の彫刻を再利用することが普通に行われていたからだ。」という解説もありました。
再利用じゃないということは、やはり資金が半端なかったんですね。
前の記事でも書いたと思いますが、テッサロニキのモザイクは、思ったよりは圧倒的に少なかったんですが、それはやはり資金の問題なんですよね。だから、このアヒロピートスは、かなり特別な教会だったんだろうと分かります。
写真が増えちゃったので、一旦切ります。
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- 2023/01/30(月) 12:39:25|
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