ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その5
アヒロピートス聖堂Church of Panagia Acheiropiitos(8-12/17-19)、続きです。
前回、好物のモザイクを沢山アップしたのですが、実はモザイクのあるアーチ壁には、もう一つ素敵な装飾が残っています。
南側の壁となるようですが、13世紀初頭に遡るフレスコ画があるのです。

上半身及び全身で描かれた人物フィギュアなんですが、Sebasteiaの40人の殉教者の姿とあります。
聖書に詳しくないもので、簡単な説明を読んでもまったくピンと来ないんですが、インターネットのありがたさですねぇ。すぐにヒットしました。日本語だと「セバステの40聖人殉教者」となる逸話のようです。
今では18名の姿だけが残っているということです。
4世紀初頭、西ローマではすでにキリスト教迫害が一段落した時期でも、東では、同時期に近況迫害がひどくなっていたそうです。セバステは、現在のアルメニア地方にある土地だそうですが、キリスト教者である40名からなる部隊が派遣され、そこで信仰に背くような行いを皇帝から強要されます。40名の軍人は、命令を拒絶することで、ひどい拷問の挙句、最後は、まだ寒い三月に衣服をはぎ取り、雪の中池に張った氷の上に座らせ、凍死というむごい殺し方をされました。
最後には救いもある逸話ですが、いやはや、なんかすごいですよね。

全身のフィギュアが、円柱の上に当たる位置に、そして、アーチのトップに当たる壁には上半身のフィギュア、という配置で、リズムや流れを醸し出すスタイルとなっているようです。
彼らは、軍服を着ており、それぞれ、その殉教を象徴する十字架を手にしています。

軍服と言われても、にわかには?って思いますね。でも、そういわれれば、柔らかい衣服ではない様子があるのは確かです。18人分が残っているとはいっても、保存状態はモザイクほどよろしくなく、また高所にあるので、現場では細部は全く見えず、です。
殉教者の列の端に、明りの灯ったろうそくが刺されたろうそく立てが描かれています。

これかな。ちょっとろうそく立てにもろうそくには見えにくい代物ですが…。
これは、葬式のシーンを表す象徴的なアイテムだから、ここに置かれているということらしいです。
ここでの、古風に、そしてフィギュアを強調するような技法で描かれた壁画は13世紀の絵画におけるKomnenian芸術の生き残りである、とされている、とありますが、さて、Komnenian artとは?
ネットや手持ちの書籍で調べてみたところ、以下とありました。
Komnenian(Comnenian)
ビザンチン帝国は、1081から1185までの約104年間、Komnenos一族によって統治されたいた。5人の皇帝の時代であり、ビザンチン帝国の安定期であった。また、十字軍の時代とも重なり、ラテンキリスト教世界とのコンタクトの時代でもあった。ベネチアはじめイタリア各国から多くの交易人がコンスタンティノープルに居住し(6万から8万人と推定されている)、商人の交流も盛んで、それにより、ビザンチンの技術、芸術そして文学などの文化一般が西側ローマ・カトリックの世界に普及していったのである。
ビザンチン絵画の完成形とでも言ったスタイルということになるのかな。そういう古典的なスタイルを知った絵師が描いたということになるとするなら、そして、あえてそういう様式で描くことを発注者が求めたのなら、5世紀に大金使ってモザイク貼りまくってから8世紀もたった13世紀にも、この教会には有力なスポンサーがあったということだから、なんかすごいことですねぇ。金のにおいプンプンな、笑。マザーテレサのような、ナイチンゲールのような、優秀で実務的な聖職者に恵まれた組織だったんですかね。
セバステの殉教の場面の絵が、ネット検索すると、沢山出て来ましたが、大体は殉教の場面、つまり沢山の裸の人たちがおしくらまんじゅうしている図像だったので、こういう表し方するのは珍しいのかな。それが古典的なスタイルってこともあるのかしら。

壁画から離れますが、このアーチ壁も、レンガ製ということは、ちょっと意外な感じがしました。最初の壁画の写真に、ちらと見えますよね、レンガの中身が。構造全体レンガだから驚くには値しないけど、しかし、この壁、結構薄いし、支えも少ないし、レンガって耐性が弱いような印象あるし、で驚いたんです。
解説文のどこかで、6世紀ごろに地震があったようなことを読んだような気もしたんだけど、モザイクがあるということは、それも生き延びているんだから、ちょっと驚きます。修復はされているにしろ、レンガ積みの技術、きっとすごかったんですね。そもそもレンガの形も、驚くくらいそろってるし、積み方も隙が無いし。
この教会は、オスマン帝国の時代、モスクに転用されていました。その痕跡が、円柱に。

これ、Muradの碑文と言って、トルコ人の征服を記した内容みたいです。アラビア文字って、絵だね。

内陣は、完全に聖職者御用達ゾーン。
他の教会でのミサに遭遇したことあったけど、なんかね、すごく密な感じっていうのかな。この完全分割もそうだけど、暗闇でひそひそやっているみたいな。荘厳で神秘的で、カトリックとは全然違うのね。
なんかもう全然知らないで行ってるから、へぇ~の連続です。
イコンも、こうやってやたらずらずら並んでいて、なんか偶像禁止とかもう意味分からないっていうか。
ばりカトリックの国に30年住んでても何も分からない人が、ある日ギリシャ正教の国に行ったところで、何が分かるわけでもないけど、ただ、面白い。
歩いているときは、毎秒面白くて興奮してて、今振り返ると、色々調べることで、ちょっとだけ踏み込んだ面白さを感じます。
こうやって、ちょっとだけ資料と突き合わせてみていくことで、少しは見えてくるものがあるといいなと思います。
最後に、はみ出ちゃった写真を少々。

前回の記事に言及したけれど、この教会のために作られたもの。いわゆるオーダーメイドの円柱。ずらりと寸分の狂いもなく同じ長さで、笑。いつもいつも、他からの再利用の教会ばかり見ているので、床面に一本ずつ異なる下駄ばきのない柱は、新鮮です。これ見ると、ギリシャ神殿を彷彿とするところもありますね。そっちの流れも、多少なりと影響あるんだろうか。

後陣。今はこの小さい十字だけで、これがオリジナルか後付のものかも不明ですが、おそらく、全体はフレスコ画でおおわれていたのでは、と想像します。
ここでも、細いレンガの積み上げが、びっくりするくらいに美しいです。

ナルテックスにあったと思う、ロマネスク・テイストの彫り物。
これはとてもラベンナを彷彿とさせます、なぜか。こういった彫り物が、石棺装飾によく見られたモチーフだからかもね。
ちなみにナルテックスは、どうやらテッサロニキの教会には多いようなので、それも、ここのナルテックスは非開放な感じで、そこから密になっていたり。
おいおい、調べていきたいと思います。
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テーマ:絵画・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2023/02/01(水) 18:00:18|
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