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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ざわつくアーカンサス(アギア・ソフィア大聖堂 その3)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その8

アギア・ソフィア大聖堂Church of Agia Sophia(7-13/17-18時半)、続きです。

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夕方戻った時、絶賛開催中だった結婚式。
この教会で行うのは、規模も含めて、かなり大掛かりなお式だと思われますので、きっとお金持ちの子女に違いない。とにかくこの結婚式のおかげで、多くの装飾を、肉眼で楽しむことが出来たありがたさがありますから、心から祝福を申し上げましたよ。

それにしても、明るくなると、改めてびっくりする、内陣部分のこの金ぴかゴージャスな仕切り。イタリア、例えば、この12月に再訪したローマには、ビザンチン起源のスタイルの教会も沢山あり、それらの教会は、内陣前の部分がイコノスタシスで囲われていて、聖職者と一般信者の区分けがすごいです。
しかし、本場では、それどころじゃないんですね。中も見えないようなこの障壁で、完全に分割。教会によっては、後陣の装飾も見えない、という状況だったりもします。

個人的にあまり好みではない中世アイテムにチボリオがありますが、好きではない理由の一つが、後陣装飾を見えにくくする、というのがあるのですが、ビザンチンはそれどころじゃないですね、笑。

幸い、ここの後陣、上の方に装飾があるので、ばっちり。

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美しい聖母子像です。

黄金を背景とした聖母や聖母子というと、真っ先に脳裏によみがえるのは、ベネチアのムラノ島やトルチェッロ等にある、孤高な様子の立ち姿です。
こちらでは腰掛けているスタイル、そして、後陣の半円が、構造上小ぶりなために、孤高な様子はなくどっしりと豊かに構えるマリアの印象ですかね。

「東側のトンネルヴォルトと、メイン後陣の間には、聖母のモザイクがある。
聖母は黄金の背景の上に表されている。玉座に腰掛け、膝の上に幼子キリストを抱いている。キリストはその右手を、祝福のポーズで上にあげている。
このモザイクは、教会と同時期の、より古いモザイクの上に置かれたものと考えられている。古いモザイクは、十字架であった。教会は、聖人や神など人物像を表すことが禁止されていた偶像破壊の時代に建てられたため。この偶像破壊の風潮が弱まった際、十字架は現在のフィギュアに置き換えられた。しかしながら、十字架の水平の腕が、影のようになって見える。ちょうど、聖母の肩のあたり、そして、聖母の頭の上には、水平の腕の部分が。」

とあったので、写真を矯めつ眇めつして観察したのですが横腕の痕跡は分かりませんでした。縦は、もしかすると、上の方に、ちょっと凹っとしたような様子があるのですが、それなのかなぁ。
後代の修復とかで、痕跡分からなくしちゃった疑惑もありますね。

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「明らかに、十字架のモザイクの時代に書かれた碑文は、「神よ。我らが父の神よ。この家をあなた、そしてあなたの唯一の息子とその聖霊の栄光の時代の終焉の地としてください」
碑文の一部は、聖母の足を描き出すために壊されてしまった。」

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まるでちゃんと残すことを計算したかのように、全体にきれいに残しときながら、いきなりブチっと碑文を壊すとかって、結構あるあるなんですけど、不思議に思わされます。ませんか?
ここだって、何も、聖母の全身を、あと10センチくらい上にすれば、碑文残ったじゃんって程度のことなのにねぇ。緻密に見えて、意外と行き当たりばったりでやっちゃってるのか、疑惑ですねぇ。

それにしても、この後陣モザイクは、本当に美しくて、結婚式に感謝してもしきれないくらいです。

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だってね、早朝、こんなですよ。

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「聖母のモザイクの手前、トンネル・ヴォルトには、青い円の中に描かれた十字架。その同じヴォルトに、モノグラムや装飾的なモザイク。」

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こういった色のバリエを見ると、どうしてもラベンナを彷彿してしまいますね。
ラベンナの強みは、ベネチアが近くて、もしかすると、ガラスの技術があって、より多彩な色彩を出せたとか、そんなことも関係しているのかと思ったり。あ、でも6世紀ごろ、ベネチアはまだベネチアじゃないし、ガラスの技術というのはいつごろからあるんでしょうね。

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それにしても、なんという細かいテッセラの組み合わせなんでしょう。どれだけの職人さんの時間を使って作られたものかと思うと、気が遠くなるような作品です。モザイクがいかに高価なものか、想像に難くないですよね。とはいえ、やはりそれだけの手間暇コストをかけたからこそ、現代にまで生き延びたわけで、お金をかけるだけの意味はあったともいえるわけですねぇ。
でも、千年以上昔に、コツコツと働いた職人さんたちは、まさか自分の埋め込んだモザイクが、それだけの時代をヘタもなお燦然と輝き、人々に感銘を与えているなんて、夢にも思わなかったでしょうねぇ。

下は、十字架のあるヴォルトの端っこの方に置かれた装飾的なモザイク。ちょっとタイルっぽい雰囲気のあるモチーフですね。オリエントのタイル職人が図案を描いたとか?可能性はゼロではないよね。

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絵画的な装飾としては、実はモザイクに加えて、11世紀の壁画もあるみたいです。11世紀初頭、おそらく1037年以降に、玄関スペースが増築されて、その構造ってテッサロニキでは多くの教会にあるようですが、その部分に壁画が描かれたとありました。
ローカルの人も含めて、聖人がずらずら並ぶ、というのが、そういった玄関スペースに表される典型的な内容ということで、ここでもそうらしいのですが、私は全く気付かず、で写真もありません。
そのスペースは、大抵暗いのですよね。そして、ここは、モザイクばかりに食いついてしまったので、早朝も、特に夕方などはキラキラに目がくらんで、玄関の間は、何一つ撮影していない様子です。

あと一つ、装飾アイテムとして、言及しておきたいのは、柱頭です。

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「二段構えの風に吹かれるアーカンサスの葉モチーフで、サンデメトリウスと同様だが、ここでは皆同じ向きに吹かれている。ここの柱頭は、おそらく5世紀ごろに建てられた他の建造物から転用されたもの。」

ちょっと食いついちゃいました。
こういう葉っぱのものは、どこかで見たことあるように思うのですが、風で吹かれている、という説明を読んだことがなかったので、すごく新鮮に感じたのです。

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柱頭は、他からの転用とされているけれど、ここでは、皆同じ向きに吹かれている、ということは、向きが違うこともあるわけですよね。そして、向きの違うタイプが組み合わされたりもするのだとしたら、そこに意味がありそうにも感じられます。
正確ではありませんが、自分の撮影した写真の向きから行くと、後陣の方に向かって吹かれている様子がありますので、西からの風を受けている、ということになるのかしら。

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ビザンチンの柱頭というと、どうしてもラベンナの印象で、透かし彫りとか技術がすごい繊細な彫りものという印象しかなかったんですが(上のようなタイプ)、発見な感じ。

それにしても、どこでもそうなんですが、色々調べながら見ていくと、その一つとっても研究対象になりそうなポイントが、次々、続々出て来ますね。実際に研究されている方がいるテーマも多いでしょうけれど、地味な分野だし、まだ未踏の世界もきっとあるんでしょうよね。でも、ビザンチン研究だと、やはりギリシャ語とかマケドニア語とか、文献あさるのに、必至なんだろうなぁ、すでに無理って感じ。

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テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2023/02/13(月) 12:25:22|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0
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