ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その19
アギオス・ディミトリオス聖堂Agios Dimitrios/Basilica of St Demetrius、最終回です。今回は、好物は最後にいただく方式で、大変お待たせでした、笑。
見ていくモザイクは、内陣域の柱に置かれた以下となります。
これまでの記事で書いてきたように、この教会、長い歴史の中で多くの手が入っていますし、建物自体もほぼ再建状態のため、これらモザイクが、もともとどこにあったかは不明のはずです。

では、まずは3番のモザイクから。
聖デメトリアスと、教会の創設者二人の図像。残念ながら、必ずしも正面から撮影できる位置にあるわけじゃなくて、これなど、相当苦労していますね。

「デメトリアスが、教会の創設者二人と並んでいる。彼の右には司教Ioannisがあり、左には、役人Leontios。寄進の碑文は、”あなた方は、蛮族を撃退し町を救った聖デメトリアスの両脇にいる、この栄光ある教会を建てた人々を目にしています"。」
彼らは、7世紀の教会損壊後に、再建を実施した正式なメンバーとなります。聖人が、両人の肩に手を置くことで、彼らを承認していることを表しているそうです。
司教と役人は、光背ではなく四角い何かを背負っていますが、これは生存者の印なのかな。ローマだと、この四角は、大抵水色の濃い色で、創建時の司教とかにつけられていて、それはその当時生存していたことを表すと読んだことがあるのですが、ここではどうなんでしょう。

左側のこの人は、世俗の人で、いかにもそういう様子で表されていますよね。見方によっては山賊…、笑。聖人に肩を抱かれて、ちょっと困ったな、落ち着かないな、という様子まで見て取れるとは、モザイクなのに微妙な表現力すごいです。いや、勝手にそう思ってみてるだけなんですけどね、笑。
次4番は、上のモザイクと同じ柱の右隣となります。

祈りのポーズの聖Sergios。この方は、紀元296年にローマで殉教された聖人ということです。このモザイクについては、詳しい説明は見当たらないのですが、紫の上位をまとい、首には、軍人の勲章が描かれているとありました。
お召し物にある大胆なモチーフと混ざって、よく分かりませんでしたが、アップすると、なるほど、勲章っぽいものを首から下げています。

ということは軍人で聖人なのですね。なんか軍属出身聖人比率、高い?
それにしても、クラッセの色を彷彿とします。あそこは後陣にある大きなモザイクが素晴らしいのですが、特に緑と青の美しさ、暖かさに魅力を感じます。ここでも、やはり緑や青の使い方が、美しいし、青など本来寒色なのに、緑との組み合わせの妙なんでしょうか、暖かいように感じるんですよね。
5番は、デメトリアスとある聖職者の、いわゆるツーショットです。

ここは詳細な解説があったので、以下。
「これは、1917年の火災の跡、最後の再建の間に発見されたもの。聖デメトリアスの司教に対する尊敬が、その右腕を聖職者の肩にかけていることからうかがえる。
聖人の頭部の周囲に置かれた明るい色の四角い背景は、光背としてあらわされているようだ。
これらフィギュアは、市壁の外側に建っているように表されていると。そのため、四角い光背の周りの四角い模様は、テッサロニキの戦いを表していると考える向きもある。
二人の足元にある碑文は、”キリストの殉教者に祝福を。あなたが愛する町、その市民、そして訪問者ともに大切にしよう”」
ここで、四角い光背の話が出て来ましたが、そのものについては、分からず仕舞ですね。
それにしても、デメトリアス、肩を組むのが好きだったんですかね、笑。というよりは、きっとこのモザイクの時代、そういう仕草が、信頼を表すものだったのでしょうね。面白いのは、この肩を抱かれた聖職者さんも、上述した役人さんのように、ちょっと困ったような表情をしているし、身体もカチカチに緊張している様子が見られることです、笑。
一方ここでは正面から見られて、デメちゃんの様子もばっちり、保存状態もばっちりな中、その自信たっぷりな、何なら映え写真ポーズにも見えそうな様子はさすが、大都市の守護聖人だけある聖人です。

次は6番。

「二人の子供と一緒の聖ジョージ
おそらく子供の親が、子供が病気から治るなど、聖人によって救われたことに対して、寄進されたものと考えられる。聖人の右手は、祈りのポーズとなっている。人々のために祈るポーズ。モザイクの製作は、聖ジョージと教会創設者のモザイク、また聖ジョージと司教のモザイクと同様、モザイクの中では最も古い時代のものと考えられる。7世紀、損壊と再建の後ではないか。
これらモザイクの中で聖ジョージは、未来を見るようなスタイルで表されている。彼はチュニックChitonをまとい、豪華なマントChlamysを常に右肩にバックルでとめている。」
このモザイクは、解説が混乱していて、現地で入手して、主に今回の参考としている本では、上のようにジョージ、となっているのですが、もう一冊の本では、これもまたデメちゃんとなっているのです。
そちらの解説は以下。
「聖デメトリアスと男女の子供。子供たちは、身にまとっている衣装から、高貴な家庭の子供であることが分かる。聖人は、右手で祈りのポーズを取り、左手は女の子の肩に置いている。」
さてね。


髪型もすごく違うし、顔立ちも違いますけど、これは寄進ベースで作られているわけですから、モザイク職人も違えば、寄進者の意向も反映されている可能性もあって、何とも言えないですね。
ただ、まさにその寄進、というポイントから言えば、それも子供が救われた的な非常に卑近な理由による寄進であるならば、やはり当地で身近だった聖人デメちゃんをフューチャーしている方が理にかなっているように思われますので、ここはデメちゃん説を取りたいと思います。ま、どっちでもよかろ、ということですけどね、笑。
ちなみに、ジョージとした方の本は、1913年に書かれた書籍を改定したもの、とあり、もう一冊は1997年発行とあるので、20世紀初頭あたりはジョージ説だったということだったのかもね。
最後は7番、子供のモザイクの右隣にあるやつ。

これまた、撮影がむずい場所だったのと、見た目、あまり好物じゃなかったんですね、私、笑。例によって、研究者じゃないし、好き嫌いベースで見ておりますから、撮影内容は好悪をもろに反映してて、我ながらあきれるときがあります。フィルムカメラの時代ならともかく、デジタルなんて何枚撮ったって痛くもかゆくもないのに、時々変に節約するんですよね。ってか、好物じゃないと、さらっとしちゃう。それで、三年もたって、ちっとかしてるの、我ながらやめてほしいわ、笑。
「聖母と聖人のモザイク
聖母及び聖人とも、片手、または両手で祈りのポーズを取っている。二人のフィギュアの上に、天国から彼らの言うことを聞き、右手で祝福を送るキリストの姿がある。」

この細かさよ!ビザンチンの技術力見たり!って感じ。キリストの右手なんて、どれだけ小さいテッセラなんでしょう…。職人さんに尊敬しかないです。
「聖母は、手にパピルスの一冊を持ち、そこには以下の言葉が書かれている。”素晴らしい神よ、人々のために祈る私の祈りを聞いてください。”
このモザイクは、信仰篤いテッサロニキの市民が、病気快癒のために寄進したもので、寄進の碑文は、最初の部分が消失しているが、”人々の中で私は希望を失ったが、しかしあなたはあなたの力を私の人生に与えてくれた。私はこの寄進をすることで、感謝の気持ちを表します。”
聖人は、聖Theodorusと考えられる。」
これら以外にも、大部分が損壊してしまったものとか、壁画、見逃しもあるんですけど、きりがないのでこの辺にしておきます。

丹念に見ていけば、やはり、一日では見切れないということが分かります。どうしても余裕がないから、気持ち的にも次へ次へとなってしまうし。
まだ、欧州内の航空券事情はあまり見ていないのですが、以前のように激安チケットがあるなら、また週末利用で行ってみたいと考えています。
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テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2023/03/04(土) 18:35:23|
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