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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

おちゃめな預言者(オシオス・ダヴィッド教会 その1)

ビザンチンと猫にどっぷり、テッサロニキ弾丸ツアー(2019年11月)、その21

次に向かう教会は、まさに住宅地の中に埋もれていて、小路をたどってしかたどり着けない場所にあります。それもアップダウン、結構激しいし。

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テッサロニキって、港近くの地域は平地だし、狭い地域に密集しているので、短時間でも回りやすいけれど、この丘の上の方は、かなり大変。
おなじみのにゃんことの遭遇率も高いけど、坂道行ったり来たりしてると、遊んでいる余裕もなくなります。かわいいいい、とかつぶやきながら、思考停止で脚は先に進む、みたいな状態に…。

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着いた時はびっくりしました。地図を見ながら進んだら、小路の突き当りに木戸があって、さすがにこれは違うよね、と引き返そうとしたら、木戸のところにいたおやじが来い来いと呼んでくれて。

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オシオス・ダヴィッド教会(Osios David-Monastery of Latomou)です。
半信半疑で木戸を入ってきたけど、この様子、疑惑マックス、じゃないですか、笑。

起源の古い古い教会ですが、もはや一般の一軒家にしか見えないたたずまいです。

(さらりと始めてますが、実は怒涛の年度末激務で、余裕のない日々を送っとり、約二週間書けなかったので、調子が出ないです…。)

話戻します。
そう、今や田舎の一軒家、それも結構しょぼい系にしか見えないたたずまいですが、実は、とても古い時代に建てられたものらしく、その創建の逸話もとてもドラマチックです。

「古文書の記載によれば、預言者ザカリアに捧げられた教会が5世紀終わりごろにできた。同時期にモザイクが作られ、装飾的な壁画も施された。資金は匿名の女性によって拠出されたと、モザイクの下部にある碑文に記されている。古文書によれば、その女性は、テオドラ、つまり、キリスト教迫害を行った皇帝Maximianの娘である。」

若い娘が親に背いて、内緒で改宗するというのは、聖人伝説などで、よくある話ですよね。若い娘、場合によっては少女だったりしますけど、そういうケースがなぜ多いのか、ふと考えてしまったんですけど、聖人伝説的なアピール目的もありそうですし、また、女性が抑圧されていた時代を写す面もあったかもしれない。
ローマ帝国は、男文化なんですよね。ローマが叩き潰したエトルリアでは、女性の権利も非常に守られていたようで、大変好ましい時代、民族なんですけれど、ローマで女性の権利はなくなって。
ローマで広く信仰されていたミトラ教は太陽神信仰で、ミトラはマッチョな男性像だし、あまり知らないので何とも言えないけれど、男性中心社会に合った信仰だったのかもしれなくて、そういうところでも女性には救いが少ないとか抑圧が激しくあった結果もあるのかもしれない、なんてね。

おっと、脱線しました。

何はともあれ、テオドラは改宗して、祈りの場を欲しいと思って、健康のためとかなんとか理由をつけて、親に自分専用のバスルームをおねだりしたんだそうです。祈りの場にふさわしく、モザイクで装飾もしたものの、親にばれたら困るので、せっかくのモザイクを隠すような工夫をせざるを得なかったとか。

詳しい記述はなかったのですが、テオドラさんは、どうやら殉教したようですが、この祈りの場は長く残り、あ、もちろん家屋の一部としてですけどもね、それが、800年代早々に発生した地震の際、倒壊によってモザイクが発見されたんだそうです。

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モザイクの保存状態は、現在の建物の状態を思うと、びっくりするくらい良いのです。それは、長い歴史の中でも、おそらく覆われていた時代が長かったから、ということにつきそうです。上の逸話の真偽は定かではないにせよ、当初も300年くらい覆われて放置されていたようだし、その後、トルコ人占領下でも、モスクへの転用があったことから覆われていて、最終的に1921年に発見されるまで、誰一人、このモザイクのことは気付かなかったということなんです。

では、後陣全体を覆うモザイクを見ていきます。テーマとしては、預言者エゼキエルの視点での場面ということらしいんですが、中央に、大変若々しい様子のキリストがいます。

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髭のないキリスト像は、大変珍しいようですね。つるん、としたちょっと中世的な様子もあるお顔。そして、ノーブルで品があって、威厳というよりも、高貴な人、という印象が強くあります。
キリストの左上の方に天使がいますけれど、これまで見てきたモザイクでも、こういう強めの、ビザンチン的な表情というのか、造作というのか、いずれもイケメンだけど、はっきりしたお顔が多いですよね。

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そういう中で、ここのキリストの顔は、いわゆる甘いマスク、となるのかな。でもそれよりも天井の人的なふわふわした高貴さが半端ない。

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この天使は、羽根にたくさんの目があるので、セラフィムのようです。
キリストは、バブルのような球に包まれて、虹の橋に腰掛けて、全力で天国感出しています。
球の周囲に、四人の福音書家のシンボルがありますが、これがまたかわいいんですよ。
ちなみに、左上のセラフィムは、一応マッテオということらしい。

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左下にいるマルコ。美しい福音書を持っているけど、どうにも人間臭い顔が、妙に親しみを感じるやつ。

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こんな愛らしいルカを見たことがあっただろうか?!いや、なかろう、という構文的な感想が出てしまうくらい、チャーミングなルカが右下にいます。こんな目でお願いされたら、もうなんでも言うこと聞いちゃうよね、という少女漫画の目をしてるんだもん、びっくりする。その上、上目遣いで舌ペロンよ。これはほとんどの人がやられちゃうよね。

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こういう中では、至極普通な様子で描かれているヨハネ。鷲のくせに、笑、セラフィムの翼をもってますね。

限りなく高貴な様子のキリストを囲む福音書家は、とっても世俗な様子で、その落差も面白いところ。解説では、「動物を描く写実性は、ギリシャやローマの流れをくむもので、そこからも作られた時代が考察されている。」とありました。

個人的に最も面白かったのが、実はテーマのもととなっている預言者さん。

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やばくない?
赤ちゃんにベロベロバーとか、変顔して遊んでいるとしか思えなくない?

でもね、これはどうやら忘我の様子を表すポーズらしい。
この預言者が見た風景、解説はこうなってます。

「エデンの川であるPhyson,Geon,Tigrisそしてユーフラテスが、キリストの足の下をHobar川に流れこんでいる。それらが、全体図の下部に、素晴らしい青色を挿入している。
下の左側に、預言者エゼキエルがいる。川岸にいて、奇跡の前に忘我の様子。そして右側には預言者ハバククが、威厳のある様子で瞑想している。」

右側にいる預言者ハバククさんは、どうかというと、まさに解説通りのたたずまいでいらっしゃいます。

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ね。
これに比べて、エゼキエルのおちゃめぶり、笑。
こんなおちゃめなエゼキエルが他にあるだろうか、いや、ないだろう。構文、笑。

ちなみに、エデンの四つの川って、割と出てくるアイテムだけど、ちゃんと抑えてないことに気付きました。ちょっと勉強してみよう(ググるだけですけど…、笑)。

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大変こじんまりした教会ですが、見所他にもありますので、続きます。

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テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2023/03/18(土) 12:20:42|
  2. ビザンチン
  3. | コメント:0
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