2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その19(ベリー)
ブログを書きながら、日々、消えかかっている記憶を手繰り寄せる作業をしています。今回の教会は、当時の日記を読むとすごく面白いのに、なかなか記憶が浮上してこず、いよいよダメかと思っていたところ、グーグルで教会の場所を探していたら、フワフワ~と立ち上ってきました、笑。
よし!まだ大丈夫!と思ったものの、結構印象的な経験しているのにこんなにきれいさっぱり忘れかけるなんて、若干不安にはなりますよねぇ、ふぅ。
サント・リゼーニェSainte-Lizaigneのロマネスク教会Ancienne Eglise Romaneです(カギはメリーの管理で、平日午前中のみとなるようです。グーグルで調べたところ、1 Rue de l'Egliseあたりを目指すとよさそうです)。
いきなり一人珍道中です。同じ間違いをしてしまう人もいるかもしれませんので、情報としても…。ご興味ない方は、この辺すっ飛ばして、先の方へお進みください~。
教会の住所が分からなかったため、町の名前をナビに入力したところ、到着したのは、とっても新しそうな教会の真ん前でした。でもさ、ファサードは新しくても、後陣だけ古いとかあるから、一応確認したけど、どう見ても、どこもかしこも新しかったんです。

なんだろね。ゴシックとロマネスクが変な融合してて、気持ち悪いっていうか、意味不明。
で、そこらでお掃除していた母娘に聞いてみたのですが、結構高齢な母親は、古い教会?そんなん知らん!と断言。娘の方が、しばらく考えていて、「あ、きっとあれだ!この道をちょっと先に行ったところにあるわよ、近いわよ」と教えてくれたのでした。お母さんは、もう記憶が曖昧になっているのかもしれませんけども、若い時は通っていたんじゃないのかなぁ。寂しいよねぇ。
指示に従って進み、5分程度で、無事到着したのですが、またもやクローズ…涙。先ほどの教会近くにメリーがあったので、引き返して鍵をお願いしたら、英語が超流ちょうなおっさんが貸してくださいました。
で、教会に戻るも、開かない…。
散々手こずった挙句、扉を押すのではなく引くことが分かり…。
自分の間抜けさにあきれて、笑っちゃうよね。こういう時、同行者がいたら、まさに珍道中みたいな感じで、それなりに楽しめるかもしれないけど、一人だと、イライラしたり自分に腹が立ったり、いろんな気持ちに翻弄されます。最後は大体笑っちゃうんだけども。あとから思い出し笑いまでしちゃったりして。
ということで、結構な時間をかけて、やっと入場できました。

この教会、外側は、ほとんど何もないので、入場できないと結構寂しんです。それに、立て続けに入れない教会が続いたので、そろそろメンタルがね。

このファサード側の長い部分は、付け足しじゃないかという気もします。もともとは田舎の、小さな教会、いや、今でも小さいのですが、もっと小さな礼拝堂規模のものであったのではないかと思います。村は今でも小さいので、想像は難しくないのですが、おそらくかつては農民がパラパラっと暮らす程度の村って感じですからねぇ。

上の、右側部分だけかなって、そういう印象です。
後陣や壁に、軒持ち送りがありますが、特筆すべきものはなしです。ここはやはり入場しないと駄目な教会です。
中には、かなり傷みが激しくて残念な状態ではあるのですが、フレスコ画があります。

これは後陣に置かれた栄光のキリスト像。12世紀の絵の上に、13世紀終わりから14世紀初めごろの加筆が認められているようです。確かに時代的にはそっちかなっていうイメージですよね。

元の絵はこういう感じと。ちょっと変形ですが、アーモンドの中のキリストが、四福音書家のシンボルに囲まれていて、この図像がおそらく12世紀にあったもので、その周りのお花と、その上で祈りを捧げる二人の天使の図像は、13世紀後半から14世紀始めに、テンペラで描かれたものだそうです。

上の後陣と対面になる勝利のアーチの後陣側です。
12世紀のもので、最後の審判となります。

言われればそれっぽいね、と思う程度の残り方で、説明がなければ理解は難しそうです。

後陣の開口部のところの絵は、かなり状態が良いです。18世紀頃に窓が閉ざされたり、前に祭壇関連の家具が置かれたりで、おそらく閉ざされた状況に置かれたことが、その理由となっているそうです。13世紀の第一四半期のもの。
これはLa Synagogueとなっており、同じ窓の反対側には、L’Egliseとされているこちらの絵が。

教会とシナゴーグを対比するような図像、面白いですね。なぜそのようなものが描かれているのでしょうか。
その他にもいくつかあるのですが、とにかく薄い。それでも、きちんと解説を置いてくれているのは、有難いです。てか、解説ないと、見つけるのも困難なやつもあります。

このように、全体のつくりは、かなり愛想のない四角い箱状態です。
内陣に、いくつか柱頭もありました。

前述したように、かなりの田舎教会だったと思うのですが、絵師はどこの方だったのか、僅かに残る浮彫も、どこの誰が彫ったのか、逆に興味が湧きます。
ベリーは、狭い地域に、かなりのロマネスク教会がひしめいていますから、教会建築にかかわる各種職人さんの数も多かったでしょうし、流しの職人さんなどもきっと沢山いたんだろうと想像します。

包丁一本、じゃないですが、仕事道具を担いで、旅暮らしをしていた職人さんとか、勝手に考えてますが、ロマンだわ…。
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テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2023/06/07(水) 18:11:37|
- サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
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