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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ビザンチンに会えるとは(ジェルミニー・デ・プレ45)

2019年8月夏休み、フランス中部の旅、その90(ロワール)

地味続きの後、キターーーーーーってヤツです、笑。

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ジェルミニー・デ・プレGermigny-des-Presの王宮礼拝堂Ancienne Chapelle Palatineです(9時半から18時、カフェ、トイレあり)。

あ、外観の見た目は、超地味ですけどね、ここ、知らずに行くと、かなりたまげるお宝があるんです。お宝は有名だから、もちろん事前に知っていたけど、それでも、想像の上を行くレベルなんで、やっぱりびっくりしました。

入場しますと、こんな感じ。

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例によって、白くて新しさプンプンで、冷静にふーん、なんだよ、これかよ、とか思うんですが、奥の方になんか見えるじゃないですか。
あれ?もしかして、あれ?
と確信なく近づくじゃないですか。

そしたらさ。

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これですもん。どひゃぁ、となりますわ。

現地にあった解説をざっくり読みますと、以下のようになっていました。

「ロワール川近く、黄金の谷に、この礼拝堂は、立っている。
806年、オルレアンの司教かつサン・ブノワ修道院長、さらにカール大帝の個人的なコンサルタントを務めていたテオドルフが、この地に住まいを建てたが、現在では、その礼拝堂だけが残っているのだ。
テオドルフは、当時では大変自由なマインドを持つ人間であった。博学な詩人であり、芸術を愛した。そして、当時開かれていたすべての知識に対して興味を持った。そういったことにより、皇帝の最も重要なスタッフの一人となったのだろうが、最後は、寵愛を失い、820年、牢獄で死亡する。」

おお、ロマンを掻き立てられる解説です。
と、それは置いといても、押さえるべき事実は、これが、カロリング時代の遺構というところなんですね。そして、フランスでは唯一とされるモザイクであるということなんです。

例によって、せっかく読んだので、解説をずらずらと行ってみます。

「互いに 5 キロメートル未満の距離に 2 つの教会、Saint-Benoit-sur-Loireと、Germigny-des-Presのカロリング時代の礼拝堂があり、ロワール流域の最も美しい地域の価値を高めることに貢献しています。
このつながりは地理的なものだけではなく、建物の強い象徴的な関係は偶然の結果ではありません。歴史的かつ精神的な絆が彼らを結びつけます。彼らは両方とも、西洋修道士の父サン・ブノワの学校で「神のより大きな栄光」を求めるという人々がなした選択によって生まれました。」

まずここで、不勉強ながら、サン・ブノワSaint-Benoitがサン・ベネディクトであるという事実を初めて認識したという情けなさを露呈いたしましたよ。前にも、サンテティエンヌ=サント・ステファノとか、そういう変換やめて…、とフランス語には翻弄されまくりなんですけども、分かりにくいですよねぇ。

今回は久しぶりに中世辞典が大活躍。
個別にネットで検索するよりも、全体のつながりをなんとなくつかもうとする際は、やはり辞典って便利ですよ。という発想が、アナログ世代なんでしょうけれども。
聖ベネデットは、イタリアはのるちゃ出身の、西洋修道院界の大立役者ですが、その生きた時代は480年から560年ごろとされています。今更調べて、オッと思いますが、長生きをされた方なのですね。長生きしたからこそ、時代の立役者となった部分もあるかもしれないですよねぇ。
そして、カロリング・ルネッサンスと言われる時代を築いたカール大帝、シャルルマーニュは、742年から814年ごろに生きたフランクの王様ですね。
その宮廷で活躍したテオドルフは、750/760年から821年ごろに生きた方とされているようです。
キリスト教が公認されて、かなり早い時期にベネデットさんがその派を確立されて、そして、その後、ローマを凌駕したロンゴバルドや、このカロリングが、競ってキリスト教を採用したことで、キリスト教が破竹の勢いで西洋社会に浸透していったという時代のことなのですよねぇ。

ここでは、そういった歴史の横糸みたいなものを、強く感じます。

では、解説です。

「オルレアン司教テオドルフは修道士であり、フルーリー修道院(現在のサン・ブノワ・シュル・ロワール)の修道院長でもありました。彼はキリスト教の神秘を理解し、ジェルミニーに建てた礼拝堂に足跡を残しました。彼は専門家の意見を参考にしてこのビジョンを著書の中で発展させましたが、Germignyではそれが「開かれたモザイク」で誰でも読めるようになりました。」

「ジェルミニーの小さな教会がロワレ県で最も訪問者の多いモニュメントの 1 つであるとすれば、それは確かにその初期の部分の建築にもよるものですが、何よりもこの教会を有名にしたのはそのモザイクです。
このモザイクはいくつかの理由で有名です。実際、このモザイクは、その時代、その主題、その謎によってユニークです。
ジェルミニー・デ・プレは、フランスでカロリング朝時代の唯一のモザイクがあることを誇りに思っており、その時代は、ほぼ間違いなく806 年です。アーヘンのカール大帝シャルルマーニュの宮殿も美しいモザイクで飾られていましたが、どれも現存していません。」

ここでまた、うっとりとロマンを感じます。
ドイツのロマネスクは、興味を持てないスタイルなので、ほとんど訪ねたことはないのですが、カロリングの遺構というものはそれなりにあるのでしょうね。ただ、モザイクがあったという事実は、想像もしていませんでした。

「ジェルミニー・デ・プレのモザイクが保存されたのは、技術的によく作られており、フルーリーの修道士によってよく維持されていたからに違いありません。
しかし、モザイクを内蔵する教会そのものと同様に、モザイクも、私たちには詳しく伝わっていない激動の歴史を持っています。しかし、その古さはモザイク自体の碑文と、その発注者の名前が現れる場所によって証明されています。オルレアン司教であるテオドルフ、カール大帝の友人で偉大な知識人です。
この碑文はモザイクの基部のフリーズに見られ、青色の背景に銀色の文字でトレースされた2行に配置された4つのラテン語の詩で構成されています。
(ラテン語を翻訳すると)ケルビムを備えたこの至聖所を見て熟考し、ここに神の契約の箱を見てください。この光景に直面して、あなたの祈りで雷鳴の主に触れてみてください。そしてぜひ、テオドルフをあなたの祈りと結び付けてください。」

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「テオドルフはオルレアンの司教であるだけでなく、有名なベネディクト派修道院であるフルーリー(現在のサン・ブノワ・シュル・ロワール)の修道院長でもありました。彼はそこから数キロ離れたジェルミニー・デ・プレにある、この修道院に隣接する別荘を司教の住居として選びました。テオドルフが自分の宮殿に併設され、祈りと瞑想を目的とした小さな個人的な礼拝堂を建設することを決めたのもそこでした。したがって、元々は公の礼拝の場ではありませんでした。
この礼拝堂の内部は美しいモザイクで飾られていましたが、残念ながら現在は 1 つだけが残っていますが、最も権威のあるものは、主後陣の端、祭壇の上に立っています。」

「テオドゥルフスの礼拝堂全体がモザイクで覆われていたのか、それともこの装飾が内陣に限定されていたのか、正確には分からないのが残念です。
今日、私たちは内陣のブラインドアーケードにモザイクの痕跡をまだ見ることができ、研究者リッシュは教会の修復中に他の2つの不完全なモザイクを発見しました。1 つは後陣 (勝利のアーチ) に先行する丸天井にあり、(ソロモン神殿のように) 2 つの翼を持つケルビムの下部を表し、もう 1 つは東の壁、後陣の入り口上部の窓の周囲にあり、植物の装飾を表します。しかし、残念ながらこれらのモザイクは保存されていません。これらの証拠によれば、ロゼット、ヤシの木、パルメットなどの花や植物をモチーフにした、東洋とイスラム風の豪華な装飾が施されていることがわかります。
これらの要素を考慮すると、礼拝堂の装飾のテーマは天上のエルサレム、楽園の庭園、または理想的な神殿を表すものであっただろうと、しばしば議論されてきました。」

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「モザイクは、メイン(東)後陣の四隅、祭壇の上の一等地に置かれています。これは重要なモザイクで、9 平方メートル以上の面積に 130,000 個のテッセラが配置されています。ガラスペースト(6mm2から1cm2)またはさまざまな色のエナメル(スマルト)で作られた小さな立方体。緑、赤、青、白、黒、深緑、グレー、金、銀…。
私たちは金色の背景を持つ豊かなモザイクの存在にいます。ガラスペーストのテッセラは金箔で覆われており、それ自体が透明なエナメルで保護されています。奥行きや傾きを不規則に配置することで、照明効果を生み出しています。」

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「ジェルミニー・デ・プレのモザイクはしばしばビザンチンのモザイクと比較され、まずラヴェンナのモザイクと比較されます。その理由は、それらが金色の背景の先駆者であり、テッセラに使用されるガラスペーストがボトルと同じ緑色であるためです。
しかし、R.ルイによれば、ジェルミニーのモザイクは技術的にはラヴェンナのものに似ておらず、むしろ赤い陶器の破片とロワールの小石(白と灰色のもの)、大きな断片の真珠貝(opus sectile)を使用することでロマネスク時代のものであるとしています。したがって、一部の人が言っているように、ジェルミニーのテッセラがカール大帝の宮殿の建設現場でテオドルフによってアーヘンに持ち帰られた、あるいは盗まれたという考えを私たちは否定しなければなりません。
後者は実際に宮殿を建設するためにラヴェンナから資材を持ち込んでおり、教皇は彼の州に宮殿を再建するための軍事作戦に感謝してこれらの特権を彼に与えました。
モザイクの材料は地元産である可能性が高いですが (これは修道院長とルネ・ルイの意見です)、モザイクの制作を担当した芸術家は不明です。
ただし、外国出身であることは認められており、聖像破壊者の迫害から逃れてきたビザンチン難民、あるいはローマから来たイタリア人のモザイク画家である可能性が高いとされています。彼はモザイク技術を習得していない地元の職人のチームを編成し、側面図の歪みを説明する曲率が大きすぎる表面で作業する必要がありました。」

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「モザイクのメインシーンでは、4人の天使が契約の箱を指差している様子が描かれています。二人の大きな天使の間で、星空から手が出てきて、同じく箱を指しています。この場面はまったく異例であり、教会のメインの後陣にある契約の箱のこのテーマは他には見当たりません。通常、この特権的な場所では、私たちは物体ではなく、キリスト、福音書家、または聖母マリアなどの人物を見つけます。
この選択の理由は、モザイクの発注者の希望の一部であったと、長い間知られていました。
実際、テオドゥルフは、信者が偶像崇拝に陥ることを恐れて、教会で人間の像を表現することに反対しており、偶像恐怖症でした。
しかし、この説明は、この構図の深くて壮大な意味を解読するには十分ではなく、このモザイクについて、すでに多くの解釈がしるされてきたなら、残念ながら、部分的には研究者から逃れて来たこととなります。」

「カロリング書からの新しい読み込み
今日、二人のアメリカ人, Ann FreemanとPaul Meyvaertが、モザイクの象徴性について、新しく、適切で、より完成度の高い解釈を提供しています。
この二人の研究者がモザイクを直接研究することによって解読の鍵を見つけたのではありませんが、アン・フリーマンはカロリング書に取り組んでおり、すでに 1957 年に(ハーバード大学の博士論文で)テオドルフが、カール大帝の依頼で書かれたカロリング書の唯一の著者であることを見事に証明していました。1998 年に『Opus Caroli regis contra synodum』というタイトルで新しい批評版を出版することにより、フリーマンとメイヴァルトは、そこにジェルミニーのモザイクのすべての要素とその象徴的な説明が見出されることを認識しました。
カロリング書は、ビザンチン世界のイメージをめぐる争いの文脈に直接当てはまります。 これは、ユダヤ人の結婚を承認したばかりのニケア公会議(787年)に対するカール大帝の返答です(後光には十字架の痕跡がない)。二人の天使の翼が触れ合うという事実は、旧約聖書と新約聖書の間の一致と連続性を示しています。終末には、ユダヤ人とチェレチア人はキリストにおいて団結して救われるでしょう。」

カロリング書、というのも、初めて出会ったのですが、これまた中世辞典で素早く調べてみました。
それによれば、「カール大帝の宮廷の文学や理論について、まとめられた書で、おそらくテオドルフによるもの。ニケア公会議で採用された決議に反する立場が取られている」等々と解説されており、どうやら偶像崇拝が当時の大きな議論であった様子がうかがえます。

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「契約の箱は、シナイ山でヤハウェが命じた律法の表を保管するためにモーセによって建てられたアカシア材の箱で、さらに、アロンの杖(力の笏と霊的強さを象徴する)とマナ(奇跡の食物、聖書によれば、砂漠でヘブライ人を養うために天から落ちた)も保管していた。
ジェルミニーのモザイクに描かれた契約の箱の表現は、デザインと比率の点で聖書のテキストに忠実に従っており、特にそれを運ぶための担架が見られます。出エジプトの際、選ばれた民の先頭に立って歩く祭司たちによって運ばれました(砂漠の中、ヨルダン川の渡河中、エリコ攻撃中…)。したがって、このチェストは旧約聖書の第一契約を思い出させますが、テオドルフにとって、それはここではキリストの予形であり(カロリング書1.15)、それは私たちの「主であり救い主」を表しています。その元の内容もキリストを告げています。アロン(モーセの兄弟)の花の咲く杖は、主が王であり祭司であることを意味し、律法の表は2つの聖書とマナ、聖体を表しています。この角度から見ると、旧約聖書のイメージである箱舟は、新約聖書がもたらすものを予感させます。」

「箱舟とその周囲を表すモザイクの一部は大幅に修復されました。元々、アーチは正方形とハートで装飾されていましたが、修復中にほとんど消えてしまいました。また、元のデザインは何だったのか、私たちは長い間疑問に思っていました。メイヴァルトは、箱舟は空であると考えており、それはクレティンの最初の調査によって確認されています。なぜ空なのでしょうか?ここでもカロリング書が答えを提供してくれます。テオドルフは、契約の箱は人間が作った物とは異なるという事実を常に強調しています。それは、契約の箱が神の明示的な命令に基づいてモーセによって建てられたものであり、過去の記念としてではなく、来るべき神秘の神聖な予兆としてであったからです。中身のない箱舟を提示することは、神の介入を強調しているように見えます。その内容(特にマナ)に象徴される「未来の謎」が現実となったのだ。テオドルフは空の箱舟を差し出すことで、約束が守られたことを示しました。」

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「周囲の自然要素を特定します。そこには宇宙の象徴が見られ、金色の背景(海の砂)は地上の世界と昼を、星空は天上の世界と夜を表しています。これは、「増えて増えよ」という聖書のメッセージをもたらす可能性があります。「あなたの子らは岸辺の砂粒のように、また空の星のように多くなるでしょう」(創世記15章)。創世記によれば、手が現れる虹は同盟のしるしであり、創造主である主と全人類との普遍的な恵みのしるしです。モザイクの上端には、三博士の星と同じように 8 本の枝を持つ 12 個の八角形の星が使徒を象徴的に表しています。」

「これまで、契約の箱が何の上に置かれているかを正確に特定できた人は誰もいませんでした。私たちは山のこと、雲のことを話していました。1916 年のポール・クレメンと 1954 年のアンドレ・グラバールは液体元素について話しました。 水、川、小川。空を金色の背景から区切る濃い青の線については、1943 年のデル メディコ閣下は、「曲がりくねった帯は…風景のシルエットを表しています。私たちは右側に、一連の山並みのシルエットが認識できると信じています」と述べています。1998年、アンヌ・オレンジ・ポワプレ:「青い空間の輪郭は後陣の曲率に従っている。これは、アーチの両側に 3 つの小さなウェーブレットからなる 2 つのグループを形成する濃い青色の帯でマークされています。」

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といった内容となります。
描かれたテーマについては、宗教的解釈となり、私はあまり踏み込みたくない領域ですが、一応読んでみました、というところです。
いずれにしても、天使もかわいらしいし、修復がされたとはいえ、保存状態は良好で、他の部分にもモザイクがあった可能性が高いので、それらが失われてしまったことは残念ですけれど、よくぞこれだけでも残りました、という遺構ですよね。

建物や建物付属アイテムについては、オリジナルもあるのでしょうが、全体に修復やお掃除が行き届きすぎて、ちょっと本来の味が失われている感があります。

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勿論、それで教会の魅力がなくなるものではございませんが、なんとなく、味がねぇ。

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カロリング時代の礼拝堂は、現在の内陣部分だけという様子で、本堂になっている部分は、後代の付け足しではないかと想像します。いずれにしても、ここを訪ねたら、集中すべきはモザイクとなりますので、記事でもモザイクだけを見ることとしました。

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  1. 2023/11/12(日) 15:58:46|
  2. サントル・ロマネスク 18-36-37-41-45
  3. | コメント:2
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コメント

2019年10月 私にとって最後の海外旅行が 西フランスロマネスクの旅。 そうして 最初が この ジェルミニデプレ
いきなりこの金色輝くモザイクですから。感動でした、 このモザイクの美しさ。
この旅でもう終わりでも悔いはないという素晴らしいRomanesque教会のオンパレードでした。
見せていただきながら 改めて思い出にふけっております。
  1. 2023/11/23(木) 02:55:11 |
  2. URL |
  3. yk #C8Q1CD3g
  4. [ 編集 ]

黄金のモザイク

YKさん
そうだったのですね。この地域で最後というのは、結果論ではありましたが、とても良いことだったかもしれませんね。本当に、お宝満載の地域ですよね。

ここのモザイク、これがもっと沢山残っていたら、どれほど素晴らしいものだったでしょう。
それにしても、欧州はやはり地続きなのだとしみじみ感じさせられる遺構でもあり、興味は尽きません。
  1. 2023/12/03(日) 12:35:07 |
  2. URL |
  3. Notaromanica #-
  4. [ 編集 ]

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