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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

中世の会、講演会「マルコ・ポーロ」

誰でも知ってるマルコ・ポーロ、しかし、中世のキー・パーソン、と考えたことはなかったです。もっと新しい時代の人、ルネサンスあたりの人っていうイメージを漠然と持ってしまっていました。
でも、生まれが13世紀半ばで、14世紀前半になくなっていますから、まさに中世の人だったんですね。

それにしても!今日の講演会は、すごく面白かったんです。マルコ・ポーロという分かりやすいテーマだったことも多少はあるかもしれないのですが、やはり講師がよかったのだと思います。フェデリコ・バルバロッサにしろ、先日のテンプル騎士団にしろ、専門家が淡々と話しているという感じで、ふーん、で終わってしまったんですが、今日の先生は、情熱がほとばしるって言うのか、ほおっておいたら、きっと一日でも話してるんだろうなって言う熱さなんです。話者の情熱って確実に伝わりますよね。というか、わたしはそういうのって結構好きみたいで、すぐ感化されて、乗り出して聞いてしまうタイプ。思わず、メモをがんがん取ってしまいました。

お話は、まずチンギスハンのモンゴル統一の話から始まりました。それが面白い。そして、オリエントとヨーロッパとのつながりが、よく見えてくるんですね。世界史だと、ヨーロッパとオリエントと、どうしても分割して扱うけど、ユーラシア大陸で、ほとんど地続きで、ローマ時代の蛮族だってオリエントからたくさん来ているわけで、本当はそこを分割しちゃいけないですよね。
モンゴルがヨーロッパ最奥まで来ていたら、歴史は全然違うものになっていたんでしょうねぇ。
なんて話を30分以上していて、あれ?そういえば、マルコ・ポーロは?と多分誰もが思い出した頃、ようやっとヨーロッパに話が戻りました。モンゴル統一当時のヨーロッパ。
騎士がいて、市井の人々、ほとんど農民がいて、宗教関係がいて、それで終わりだった社会に、商人が出てきたと。オリエントに勢力を伸ばしたい教会は、フランチェスコ会やドメニコ会のミッションをオリエントに送るけど、うまく行かない。法王がモンゴルに、キリスト教信仰を勧める手紙を送って、思いっきり拒否されたその拒否の手紙なんかが、今も残っているそうですねぇ。面白っ。
で、オリエントとの交流を担ったのが、なんと商人だったと。
商人というのは、やはり商売をしなければならないから、相手を受け入れ、また受け入れてもらわなければならない。一方で宗教関係者というのは、オリエントを上から目線で見下していたのが、商人は、ヨーロッパの社会でも最下層にランクされていたこともあり、上から目線なんてありえない話だったと。
宗教関係者の上から目線、って言うのが個人的には受けました。そもそも、自分たちの信仰を押し付けに世界中押しかけたんですから、キリスト教のミッションって、実に上から目線だと昔から思っていたので。
まぁ、そういうわけで、ベネチアやジェノバの商人たちは世界を駆け巡り始めたわけですね。
そして、そういう時代に、マルコ・ポーロは、父親やおじなど一家が商人という家庭に生まれていますから、生まれたときから商人の世界にドップリ。ベネチアは、商人向けの教育も充実していたそうで、今でいえば商業学校みたいなものがあったんだそうです。そこで学ぶのは、やはり算数、数学。そして外国語。
当時、教養人の共通語はラテン語でしたが、商人や一般人はそんなもんしゃべりません。共通語、なんだと思います?ペルシャ語なんですって。それ以外にも、ヨーロッパ他言語なんかを学んだそうです。たいしたもんですよね、ベニスの商人も。
17歳のときに、父親やおじと一緒にオリエントに向かい、途中病でアフガニスタンに一年足止めを食らいつつ、最後はモンゴルにたどりつき、そこで15年も過ごしたんですね。モンゴル王フビライ・ハンにかわいがられて、国内はもとより、中国など外国にもモンゴル王の使節として足を伸ばしたそうです。それもすごい。
ベネチアに戻った後、ジェノバとの戦いで敗れ、そのときジェノバに捕虜としてつかまって牢に入れられ、そこで物書きに出会ったのが、彼の記録が残るきっかけになったのでした。まさに波乱万丈の人生、という言葉はこの人のためにあるような。
日本では、「東方見聞録」として翻訳されていますけど、もう当時から、ヨーロッパ各国語に翻訳されて、今でいうベスト・セラーのような本になっていたそうです。コロンブスだって、この本を参考にしていたんだそうですよ。
で、わたしとしたことが、ちゃんと持っています。


そういえば、持っていた気がする、と講演中に思い、帰宅するなり本棚を見たら、やっぱりありました。う~ん、不思議と中世関係については、我が家の本棚は充実していますね。いつ買ったのかも覚えていないし、実は積読で、読んでない気もしますが。
せっかくなので、読んでみることにします。

講演の締めで、実は数年前、英国の研究者が、実はマルコ・ポーロのオリエントの旅の話は、すべて作ったもの(つまりやらせ)ではないか、という主張をして、論争が起こったという話になりました。先生は、口角泡を飛ばす状態で、そんなはずはない!と熱を込めて語っておられました。全くね、あの時代に、すべてを空想できたとしたら、それはそれでたいしたものだと思いますけども。

というわけで、やはり講師によるんだという当たり前のことに、気付いた講演会でした。面白い講演求む。
来月は、音楽の会とか、講演はダンテかな。すごく楽しみになってきました。
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  1. 2010/02/28(日) 06:13:48|
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コメント

No title

「マルコポーロとの出会い シルクロードへの熱い思い1 シルクロード2万キロ紀行1アップしたらあなたの記事が紹介されました。興味あるので訪問しました。私は『道をゆく~シルクロードと遍路道』というタイトルで、
① シルクロード2万キロ、248日の一人旅 ②四国歩き遍路の魅力と廻り方 ③東日本大震災に遭遇して の3本柱でアップしています。ぜひ訪問してみてください。
  1. 2011/08/25(木) 05:58:00 |
  2. URL |
  3. moriizumi arao #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

訪問ありがとうございます。
すごく歩いていらっしゃるんですね。実際にすることはないと思いますけれども、それでも四国のお遍路はとても興味があります。貴サイト、お邪魔してみたいと思います。
  1. 2011/08/25(木) 22:28:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

よろしくお願いいたします。お待ちしています。
  1. 2011/08/28(日) 09:30:00 |
  2. URL |
  3. moriizumi arao #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

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