(1995年開幕公演、モーツァルト「魔笛」)
もう関係ないのに、どうしても気になってしまうイベントいうのがいくつかあります。
その中の一つが、ミラノの守護聖人に捧げられた祝日であるサンタンブロージョの日(12月7日)に、初日を迎えるスカラ座の開幕公演です。実は、一時はまっていたのです、オペラに、いや、スカラ座に。
当時は、インターネットなどない時代で、チケットを買うのは至難の業。特に安い天井桟敷は、誰もがアクセス可能なお値段なので、まさに争奪戦の状態でした。人気のイタリア・オペラだったりすると、それこそ二晩くらい夜を徹して並ぶ、なんてこともしょっちゅうでした。そうやって数年の間、スカラ座の天井桟敷に通いつめていました。最も行っている頃には、週に2,3度、同じオペラを違う歌手の日に見たりしていました。シーズンにかかるすべてのオペラを、バレエも含めて見に行っていました。
さて、その気になるイベントである開幕公演は、三度ほど体験しました。
何せチケットが高い。天井桟敷でも万単位。普段2千円くらいの席が、その日は1万円以上。でも、開幕公演をナマで見るというのは、多くのクラシックなミラネーゼの夢でもあります。わたしも、そもそもは、ミラノにいるからには一度くらいオペラの殿堂、世界でもトップ・クラスのスカラ座の初日公演を見てみたい、というとてもミーハーな気持ちから、スカラ座通いを始めたのです。
チケット争奪戦は、今でも、よくやったな、とあきれる気持ちで懐かしく思い出されます。なんせスカラのチケット争奪戦に初めて参加したのが、その開幕公演。ドミンゴがテノールのドイツ・オペラでした。そして、見事に敗れてしまうのです…。
そのシーズンは、そのあと、全公演見ましたが、開幕公演は翌年まで持ち越し(魔笛)。
もう1週間くらい前からそわそわして、どういうスケジュールで券が売られるのかをチェックしに連日劇場まで足を運び、そして3,4日前から、天井桟敷のチケットがほしい人たちの点呼が、数時間おきに始まります。確か前日は、昼夜を問わず、4時間ごとの点呼とか、そういう過酷な(異常な)世界。夜中、当時は車を持ってなかったので、タクシーを呼んだり、また時には徒歩で1時間くらい歩いて、スカラ座に行くのです。でも文化祭とかそういうお祭り的な楽しさもあり、辛い、と思う反面、楽しんでいました。
(1997年開幕公演、ヴェルディ「マクベス」)
スカラ座の空気は独特で、多分世界のどこにもない緊張感があります。先日、プラシド・ドミンゴのインタビューを見ていたら、スカラ座にデビューしたときの話をしていました。「デビューはあちこちで経験したわけだけど、スカラ座ほど緊張したことはない。あそこのオケの団員、合唱団員のプレッシャーというのは、他に類を見ない。実際にすばらしいパフォーマンスをする人たちで、その人たちが、練習の際、さぁ、今度の新人は、どうかな。仕方ない、聞いてやるから、歌ってみな!という空気をかもし出しているんだ。これは絶対に負けられない、と気合が入ったよ。」というような話。さもありなんです。
そしてまた、スカラ座のすごいのは天井桟敷の客たち。一度パバロッティが、ハイCを出さなかったとき(出せなかった)、ブーイングが出て、それ以後彼は二度とスカラ座に来なかったのですが、あのパバロッティにブーが出せる人たちは、スカラ座の天井桟敷以外にいないでしょう。サクラも相当入っているという話しでしたが、でもいいものはいい、だめなものはだめ、何でもかんでも拍手や歓声は変、というのはすごいことです。日本はちょっとそういうとこありますもんね。わたしはブーはできませんが。
すばらしい公演をたくさん見ました。すばらしい歌手、指揮者、オケ、ダンサーたち。集中して通ったのは、6年ほどでしょうか。でもおそらく普通一生かかってみる分くらいは見てしまった感じで、ある日つき物が落ちたように、あ、もういいかも、となり、今では懐かしく思うことがあっても、実際に出かけることはなくなってしまいました。あ、昨シーズン、せっかく買ったドレスを着るチャンスがなかったので、それを着るために行ったというのはありますが(うう、何という俗物でしょう)。
そう、ハレの場ということでも、楽しいものでした。着飾って、スノッブな人々を身近に見て。
今年は、わたしが通っているときの監督ムーティが、久しぶりに棒を振るドン・カルロ(大間違い!なんかわたし、夢でも見たのかな。「音楽監督を辞して以来はじめて、ムーティが振る」、というフレーズを聴いた気がしていて、だから思い込んでいました。へへ、お恥ずかしい。指揮者はダニエレ・ガッティ。ドン・カルロには弱すぎたみたいで、評価は三山だったようですね!)。
さて、どういう結果がでますか。ニュースで見てみることにします。
(ロカンディーナのコレクション)