またまた、ちょいと寄り道です。
先日ご紹介したサン・マッテオ教会のある広場には、ジェノヴァの名家、ドリア家の遺構が立ち並んでいます。実はこのサン・マッテオ教会そのものが、ドリア家の礼拝堂として建てられたのが起源なのです。
ドリア家は、西洋史をやっている方には言わずもがなですが、12世紀頃から政治的な頭角をあらわしました。当時の家長アンサルドは、ジェノヴァ総督でいながら、イベリア半島の対イスラムの戦いに出陣する等大活躍。その息子シモーネは、バルバロッサ(フェデリコ1世)の下で、外交官の役目を果たし、第三回十字軍に従軍。そうやって、ルネサンス期に至るまで、ジェノヴァの重要な家系として重責を担い続けた、”華麗なる一族”です。
そのドリア家の遺構が、立ち並ぶのが、この一角。
サン・マッテオ教会ファサードには、サント・ステファノ同様に、白い石部分に、多くの碑文が刻み込まれているのですが、これ、ドリア一族による軍事的な功績が記されているらしいです。
鷲が王冠をかむった姿が、ドリア家の紋章なんでしょうかね。あちこちに刻まれています。
この、教会向かって左側の建物と、反対側の建物全体がドリア家の住居。
実は、説明版とかそういうものがな~んにもないので、どれがどれだかよく分からなかったんですけどね。そもそもルネサンス、興味がないし。でも、一応建物の起源が12世紀ごろのもあるって言うことで、撮影してきた次第で。
ドリア家って、そういえば、以前訪ねたサン・フルットゥオーゾにも、墓とかあったし、相当すごい一族だったのね、というのが、実際にこうやって建物を目の当たりにすると簡単に実感できます。ジェノヴァの町のまさに中心部分に、どど~んと住居を構えちゃっているわけですからね~、立派な教会まで私有して。そもそも、歴史の激動期でもある12世紀から16世紀まで一貫して栄えるって、すごい。400年ですよ。いやはや。
かろうじて中世の名残が感じられたのは、建物の地上階部分のポルティコを支える柱頭くらいでしたけれども。ま、たまには歴史散歩もありかな。
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- 2012/02/28(火) 06:27:28|
- リグリア・ロマネスク
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