ブログの入り口ページが、フランス一色になっているので、たまにはイタリアに戻りましょう。イタリア徒然だしね~。
ということで、春に旅したロマーニャの、誰も知らないマイナー・ロマネスクを紹介したいと思います。
このあたりは、昨年もざっと回りましたが、そのときは、ロマネスク巡りというより、ボローニャ在の友人たちとのんびりと一日エクスカージョンという感じだったのです。といいながら、しっかりと地域の資料を入手したこともあり、”修行”志向のわたしとしては、一度きちんと歩きなおしたいと思っていたのです。
で、4月末の連休を利用して、丸一日、走り回ってきたという次第です。
まずは、昨年、中に入ることのできなかったバーニョ・カバッロBagno Cavalloのサン・ピエトロ・イン・シルヴィス教会Chiesa di San Pietro in Sylvis。
町の入り口、というロケーションにあり、ファサードはとてもシンプルだけど、イタリア・ロマネスクの典型的なスタイルで、好感が持てます。オリジナルはなんと7世紀という古さ。どっちかというと初期キリスト教寄りの、わたし好みですよねぇ。
教会の脇が駐車場にもなっていて、とっても便利。教会の扉が開いている様子だったので、慌てて車を停めて、わくわくしながら本堂に入場です。
あ~、いい感じです。写真ではわかりにくいかもしれませんが、白っぽくても、漆喰の白さではなく、ちゃんと石積みですよ。
観光客が結構います。
前回は入れなかっただけに、嬉しさが倍増。お昼にも近かったので、今閉められたら困る!とにかく深奥部に向かいます。内陣がこれだけ高く持ち上がっているわけですから、目指すは、まずは、クリプタ。脇の階段から降ります。
素朴な、装飾のほとんどないクリプタ。でも自然光が入ってきて、とてもいい感じ。
そういえば、この教会、後陣側は外からアクセスできなかったのですが、クリプタにも大きな窓がありました。
クリプタの祭壇は、支柱の柱頭部分が、とてもシンプルながらかわいらしい。もしかして、古い時代のオリジナルかな~。
この、祭壇の支柱柱頭こだわりが、他でも見られましたので、ちょっとアップしときます。
このあたりの教会の基本が、このサン・ピエトロなのかもしれないですねぇ。祭壇は、新しくなっているところも多いし、支柱がこういう小円柱って言うのも、あまりない気がして、今回はとても惹かれました。
地味ですが、続きます。
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- 2012/07/03(火) 05:35:11|
- エミリア・ロマーニャ・ロマネスク
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| コメント:6
素敵、このすっきりとしたシンプルさがいいですね-。
こういうロマネスク建築には清廉な感じで好感持てます。日本人向きなのかしら?
どうもゴシックとかバロックとかクラクラしちゃいます…((+_+))
- 2012/07/08(日) 09:04:00 |
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- さちぞう #79D/WHSg
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さちこさん
わ~、共感していただけるなら、とても嬉しい!
ロマネスク、確かに日本人向きだと思うんですよ。押し付けがましくないし、かわいいし。勿論バロックが好みも人もいるんですけれど、でも、ロマネスク好きって、日本人には比率が高いと思います。
それにしても、ロマネスクとゴシックの差、というのは、とても面白いです。時代的には(時間的に)続いているのに、文化的には全然続いていないし、好みがくっきりと分かれる。ここは、すっごく興味があるんですよ。
- 2012/07/08(日) 22:26:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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たしかに謎ですね・・・。
たとえば日本の仏像の場合は、政権交代が原因だったりするんですけどね。
とくに著しいのは平安→鎌倉で、貴族から武士の世の中に変わって、政権奪取とともに文化の中心も京都から東国へと移動しますが、やはりいままでの既存の文化のを否定して、武士の力強く新しい政権をアピールしてますよね。
私世界史について詳しくないのでよくわからないのですが、ヨーロッパだと陸続きで妙に勢力は入り組んでますよね…なので宗教(キリスト教)からの影響なのか、民族的なものなのか、それとも建築に関する技術革新が影響しているのかわからないのですが、ロマネスクとゴシックの間にそれらが原因になりうる何か大きなの変化があったりしたのでしょうかね?
- 2012/07/09(月) 01:52:00 |
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- さちぞう #79D/WHSg
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専門家でないので(多分専門家になるほどはっきりいいにくい、つまり文献で立証しなければならないのに文献がない)勝手なことはいえませんが。
でもイギリスでは 例のノルマンコンケストによりノルマン支配になったときノルマンの威光を示すため殆どのサクソンチャーチが壊され、建て直されてノルマン様式になったことはよく言われています。
教会建築では上へ上へ天に近づきたいという思いは常にあったのではないか、地上における神の国をという思い。そういうものが政権、新しく司教になった人の意向、それに火事など現実的要請などで教会は新しくされているようですが、ただそれを支える技術がないことにはどうにもならないですよね。石工の力(努力)は大きいように思いますケン・フォレットの『大聖堂』はそのあたり(ゴシック志向)を物語化したものですが、フィクションでも調査はしっかりしてから書かれたのではないかと思っています。(蛇足ながら最近書かれて続編はつまらない、と私は思います)
- 2012/07/09(月) 22:59:00 |
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- yk #79D/WHSg
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さちこさん
あまり大局的な歴史の勉強はしていないし、実際建築史はまったく詳しくないのですが、このロマネスクからゴシックへの時代というのは、やはり技術力なんだと思います。ヨーロッパ全土を覆う芸術文化として、ローマのあと初めて、一定の共通性が見られたのがロマネスクの建築芸術で、それは勿論、戦争や巡礼、交易など人々の往来が盛んになった、つまり交通網の発達、町村の発達などの結果であり、技術や文化が普遍化する過程で、それまでとは違う速度で技術が発展したのではないでしょうか。ロマネスクの時代は、強度のために窓がほとんど開けられなかったし、屋根も木で葺くしかなかったわけですから。
その前のローマの技術が、多くの部分できちんとして継承されなかったのも、不思議です。多分必然なんでしょうけれど、とにかくそういう歴史の中でのロマネスクの愛らしさというのは、やっぱりすごいと思うのです。
- 2012/07/10(火) 20:26:00 |
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- corsa #79D/WHSg
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yk さん
専門家ではないですから、勝手なことをいって楽しむのが、ブログと思っております。笑。サイトにまとめる際は、なるべくきちんと調べるようにしていますけれどもね。
どんどん勝手な意見をお願いします。
技術の進化と、(私の好む、という意味での)芸術性の喪失。ゴシックというのは私にとってはそういう時代で、それがルネサンス、バロック、と悪化していく、みたいな。ゴシック以降ファンの方には怒られそうな。笑。
- 2012/07/10(火) 20:29:00 |
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- corsa #79D/WHSg
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